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「大きくなったら、なりたいものを書きましょう」
石井先生の言葉に、周りからは「えー」「嫌だなー」とかいう声が起こる。
みんな作文は嫌いなんだ。
「今度の学校公開日に、お家の人の前で発表もしてもらうから、一生懸命書いてね」
先生は余裕の表情でニコリと笑ってみせた。
タカタカと小さな足が地面を蹴る音がしたと思うと、長い髪の毛を馬の尻尾みたいに一つに束ねた小さな顔が、後ろからひょこりと覗き込んできた。
「謙ちゃん、作文何て書く?」
「うーん、沢山あって決められない」
唸るオレを大きな黒い瞳で見つめ返してくるのは、隣の家に住んでいる野々花だ。
生まれた時から隣同士だという事もあって、小さい頃は毎日のようにお互いの家で遊んでいた。
でも四年生にもなると、男子と女子がそう簡単には一緒に帰ったりできない。
友達の目もあるし……、なんて言うか、いくら幼馴染だからといって、男子たるもの女子と遊ぶなんて女々しい事、そうはできないんだ。
でも、優斗とは大通りのところで別れたばかりだし、野々花といつも一緒に帰っている田中さんの家は、さっき通った交差点を左に曲がった先にある。家が隣同士にある訳だから、こうやって偶然帰り道が一緒になる事だってあるんだ。
野々花は結構背が低い。
オレはどちらかというとクラスの中でも大きい方だから、野々花がオレと話す時は、下から見上げられる形になる。
橋本さんちのポチみたいな黒くて艶々した目で見つめられると、何でだろう、心臓の音がいつもより大きく感じるんだ。
「謙ちゃんは欲張りだからなぁ」
そう言って野々花はおかしそうに笑った。
「えー、だってサッカー選手も良いし、バスケも格好良いだろ?」
「謙ちゃん、運動神経良いもんね」
「でもお金持ちになりたいから、会社の社長とかも……」
昨日見たドラマの主人公は、どんな難病でも大怪我でもあっという間に治してしまうスゴ腕外科医だった。
沢山の困っている人達から感謝されるお医者さんも良いなあ。
あ、でも俳優になれば、医者にもスポーツ選手にも超能力者にだってなれるじゃないか。
そんな事を考えていると、くっきり二重の瞼がおかしそうに細められる。
「な、何だよ。そう言う野々花は何を書くかもう決めたのかよ」
小さく頷いてみせてから、野々花はちょっと恥ずかしそうに下を向く。
「……お嫁さん」
野々花の小さな声に、オレの心臓は壊れちゃったみたいにバクバクと大きな音を立てる。
隣にいる野々花に聞こえないようにオレは慌ててよそを向いた。
すると、野島さんちの庭先に、ポツンと白い花が咲いているのが目に入ってきた。
枯れたような茶色い枝の先で風に揺れているのは、オヤツに一口でパクリと食べるミニゼリーくらいの大きさの可愛らしい花だ。
その白い花びらが、野々花のウェディングドレスのように見えてきて、オレは誰のお嫁さんなのか野々花に訊きそびれてしまった。
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