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「……謙ちゃん!」
懐かしい声でそう呟いたのは、カウンターの向こう側にいた柴犬のようなクリクリとした目をした女性だった。
「謙ちゃんだよね! 私、覚えてる? 野々花だよ」
小さな花のように笑う彼女は、小四の頃、そのままに見えた。
「びっくりした……。野々花、変わんねーな」
あまりにも彼女があの頃のままだったから、自分も小学生のガキに戻ったような気分になる。
「謙ちゃんもだよー」
オレは無意識に彼女の胸元につけられている名札に目をやった。
『エンドウ』
大丈夫。まだ姓は変わっていない。
「懐かしー。謙ちゃんもこっちの大学に通ってるの?」
野々花の言葉に、浮かれていたオレは急に現実に戻された気分になった。
「……いや。就職……」
「そうなんだ。謙ちゃん、偉いね」
そう言った野々花の笑顔の中には、どこか憐れみの表情が浮かんでいるように見えた。
「今日は本当は休みだったんだけど、急にシフト代わってくれって言われて、逆にラッキーだった」
そう言って微笑む野々花に、ローストビーフサンドとお勧めのサラダセットの代金を渡すと、オレは何だかぼうっとしながら客席に向かう。
カウンターの向こう側でテキパキと働く野々花は本当に昔のままに見えた。
クルクルと良く動く大きな目も、小柄な体も、少し舌足らずな可愛らしい声も。
オレは何だか眩しくなって、白い湯気を踊らせているコーヒーカップに目を落とした。
何を舞い上がっていたんだろう……。
野々花とオレはもう住んでいる世界が違うのに……。
「お待たせ致しました。ローストビーフサンドでございます」
そう言って目の前に立つ野々花は変わらない笑顔を向ける。
「私、もうすぐ上がりだから、謙ちゃん、ちょっと待ってて。一緒に帰ろう」
野々花のその言葉は、何だか小四の頃友達と別れたあと、家の前の道で後ろから追いかけてきた時のようで、オレは思わず頷いてしまった。
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