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近くのショッピングモールで時間を潰した後、犬塚の終業時間に合わせて駅前に戻ってきた。
「よ、待たせて悪いな」
犬塚が右手を軽く上げながら近づいてくる。
その時脇を通っていったOLらしき女性二人組が振り返り犬塚を二度見していくのが見えた。
煌びやかなスーツからビジネススーツになったとはいえ、フェロモンまでは隠しきれないらしい。
正直いうと、はじめも少しドキッとしてしまったくらいだ。
「あぁ、うん。こっちこそ仕事終わりにごめん」
「いいって。な、それよかスーパー寄ってっていい?腹減ったからさ」
「コンビニじゃなくて?」
「毎日コンビニ飯とか飽きるし体に悪いだろ。今までの不摂生を反省して最近作るようにしてるんだ」
あの犬塚が料理を?
はじめは再び驚いた。
以前の犬塚だったら迷わずコンビニかデリバリーだった。
包丁とかまな板を扱ってる姿はもちろん、食材を手に持つなんて一生ないだろうなと思っていたし、そんな姿全く想像できない。
すっかり以前のイメージから変わってしまった犬塚に連れられて、駅前のアーケード内にあるスーパーへとやってきた。
「なぁ、鍋って何入れる?」
「え、白菜とか豆腐とか」
「肉?魚?」
「どっちも入れても美味しいよ」
「出汁ってどうすんの?」
犬塚は買い物カゴを持つと、はじめに質問しながら食材を次々と選んでいく。
最初は警戒して話していたはじめだったが、犬塚との庶民的な会話に次第に緊張が解けていき、会計が終わったら頃にはすっかり平常通りになっていた。
「にしても一人分にしては多くない?」
三つの袋のうちの一つを持ったはじめは少し呆れながら訊ねた。
犬塚の持つ袋には白菜が一玉入っているし、豆腐も三丁、肉も特大サイズが二パック入っている。
「あぁ。ま、四人分だしな」
重さを感じさせない足取りで前を歩いている犬塚がサラリと答えた。
「四人?」
はじめが帰った後友だちでも来るのだろうか。
…それとも恋人か。
そもそもはじめと別れてから付き合った人はいるのだろうか。
引くて数多な犬塚の事だからもちろんいるとは思うがどんな人と付き合ってきたのか、また付き合っているのか少し気になる。
だが聞くのはやめた。
犬塚とはもう他人。
プライベートを詮索する権利ははじめにはない。
それに、犬塚もはじめの結婚指輪を見てもなぜ家探しをしているのか聞いたりしてこなかった。
互いの事情に踏み込まない、それが暗黙のルールなのだ。
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