対馬の浮島

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 日没が迫っていた。船着き場から、ゆっくりと、厳かに、大きな日輪が、西海の向こうへと、沈んでいく。それが、朱に染まった海原に、まさに消え入ろうとした瞬間、緑の光線が、稲妻のように、天空を染め上げた。 「やや!」  突然、船頭が、異様な叫びをあげて、飛び退いた。唇をブルブル震わせ、食い入るように、旅人の顔面を、見つめていた。 「ヌ、ヌ、ヌシゃ、猫目の民か!」  旅人は、平然として、問い返した。 「なぜ、そうと、分かるのだ?」 「そ、その目、じゃよ、その、美しい、光じゃよ」  船頭は、節くれだった指先で、自分の目尻を何度もしごき、いった。 「ほれ、ヌシの眼が、緑の光で、内側から、輝いておろうが、美しい光景じゃ、神々しい、天空の華やぎが、目の裏から、外へ、外へと、映し出されておるようじゃ、物の怪の、合わせ鏡の妖術じゃ、それができるのも、ヌシの民、猫目の民しか、おらんのじゃ!」  それから船頭は、旅人を東に渡す間じゅう、一言も口にせず、ひたすら櫓を漕ご続けた。物の怪の妖術に、これ以上、からめとられることの、ないように…。 西の聖域へ  猫目の民と見破られた旅人は、東の船頭を、野放しにするわけにいかなかった。ヤツを手元においておくには…考えた末、新月が終わる直前、二度目の干満が終わるまえに、西の浮島に同行させることにした。 「ワシゃ、いやですじゃ」  船頭は、健気なまでに逃げようとした。旅人は、止む無し、とおもった。 「ウヌが、そこまで嫌がるなら、これで、どうだ!」  旅人は、昨日の姿では、なかった。背に長尺の剣を袈裟に掛け、腰に巻いた鹿革の帯に、短尺の剣を差していた。旅人は、猫目族の剣士、だった。
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