佐々木課長の願い

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佐々木課長の願い

 私は大変な会社に入社してしまった。本当はこんなつもりじゃなかった。後悔したのは入社初日。所属する教育課の社員の子たちは、私を見るなり「初めまして。私、〇〇です。よろしくお願いします」と、はっきりとした口調で元気な自己紹介をしてきた。普段、あまり大きな声を出さない私とは大違い。40代の私は、20代の社員たちの活気に圧倒されてしまった。  私はこれまで15年以上、人事部門でキャリアを積んできた。採用関連に制度設計・運用、人材教育や組織開発にも携わってきた。そんな私がなぜこの会社に転職したかというと、企業における人材教育制度を一から設計してみたかったからだ。これまで何回か転職はしてきたけれど、どこも歴史がある会社で人事部門の基盤はすでに整っていた。でもここは教育課を2年前に立ち上げたばかりというし、しかも課長として入社ができる。給与も上がってキャリアアップできるなら何も言うことない!そう思っていたけど…。  所属する教育課は、これまで三ツ池部長が課長業務を兼任してやってきていたらしい。そのほか鈴木茜さんという子を中心に、計3名の社員が所属していると事前に聞いていた。三ツ池部長から「茜さんは管理職候補で考えているから、特に指導してほしい」と聞いていたから、人事経験が豊富なのかと思って期待していたけど、全然的外れ。社内での立ち振る舞いや業務中の態度などポテンシャルはありそうだけど、人事知識は私レベルではない。そんなんじゃ管理職なんてなれるわけないじゃない。この会社の業務ができても、勉強して知識がなければ世の中で通用しない。他のメンバーは論外。先が思いやられる…。  三ツ池部長も三ツ池部長だ。先日、課長業務の引継ぎをしたが、全然基盤が作れていない。私から見たらどれも中途半端。人員が少ないなかで頑張ってきたのは理解するけれど、最初の設計が整っていなければ結局あとで遠回りする。これでは、三ツ池部長の功績はほぼないに等しい。やはり最初からもう一度考え直したほうがよさそう。会議でも私が正論を言うと、みんな黙り込んでしまう。三ツ池部長まで口を閉ざしてしまう。私は長年人事を経験してきた者として、会社を導く責任がある。だから厳しいことも言わなければならない場面がある。部下のモチベーションを上げるのも大事だし、モチベーション高く仕事をすることも大切かもしれない。それでも私は、部下に「私は出来ている」と勘違いさせないことも重要だと考えている。そもそもモチベーションなんて、自分でコントロールするのが社会人というものでしょ?みんなが黙り込むなか、唯一空気を変えようと口を開いたのは、茜さんだった。 「確かに佐々木課長が言っているやり方ですと、より効率的ですね。次回の会議までにオペレーションを修正してご報告します。ご意見ありがとうございます。」  三ツ池部長が言う通り、見込みはある子なのかもしれない。次回の面談では少し突っ込んだ話をしてみようと決めた。  そして今。茜さんとの面談の日を迎えた。週1回ある社員面談では、だいたい業務の相談か雑談で終わることがほとんどだ。でも、今日の茜さんとの面談では話しておきたいことがある。面談時間終了5分前、私は意を決して話し始めた。 「茜さんは視野が広くて、業務もスムーズにこなしてくれるし、後輩社員のフォローもよくしてくれている。でも、自分自身のことって考えたことある?この会社での管理職の道もあると思うけど、管理職になることがすべてじゃない。この会社を退職したとき、自分が社会のどの立ち位置に立っているかということも大切だと思うの。もし人事のプロフェッショナルを目指すのであれば、もっと人事関連の知識がないと通用しない。周囲を考えるのはとても良いことだけど、少し自分自身のことも考えてみてほしい」  珍しく茜さんは沈黙した。しばらくして「ありがとうございます」と一言だけ返ってきた。  この会社でのキャリアアップも大事だけど、私は私、茜さんには茜さんの人生がある。茜さんにはにならないように、人事としてまずは力をつけてほしい。そしてゆくゆくはいろんな会社で活躍できる人材に育ってほしい。
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