私と殺し屋少女のシアワセのみつけかた

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傭兵が撃つ、少女は奔る  その男は、灰木という元傭兵だった。  人に誘われ民間軍事会社に入社、数年傭兵として前線に立っていたが、ある紛争で膝に弾丸を受け現役を退いた。  日本に帰国後、職を転々とするがどうにもうだつが上がらない生活を送る。  そんな折、兼ねてから交友があった知人から、暗殺用の狙撃手として働かないかと誘いを受ける。  幸か不幸か、男には傭兵時代の知人から銃を入手する伝手があった。加えて足の悪い身体で日々の小銭稼ぎをするのに男はいい加減、飽き飽きしていた。  男は元強襲兵で狙撃手ではない。  一㎞先から寸分たがわず命中させる技術もなく、仕事はおおよそ三百mから長くて五百m。そこまで多くはないが、裏社会の人間に頼まれて、同じく裏社会の要人を堕として回る。  ただこの平和な国で、暗殺をするにはその程度で充分だった。  充分だったはずだった。  今日、この瞬間までは。    結論から言うならば、二発目を外した時点で、男は即座に持ち場を棄てて逃げるべきだった。  ただ、標的が若く小柄な女子二人。反撃の可能性は微塵もなく、普段近くにいるという情報の護衛すら今日はいない。  キッチンに逃げ込んだ。あの場所から他に通じる逃げ場はない。  もう少し待てば、痺れを切らして出てくる可能性もある。  何より、武力も何もない少女を一人殺すという仕事の内容としては、報酬の額があまりにも破格だった。数年遊んでもおつりがくるような額がなぜそんな少女についているのか、男は不思議でならなかったが、まあ、今はそんなことはどうでもよかった。  男はじっと息をひそめて、銃を構えながら思案する。  初撃の引き金を引いた時、命中したという確かな自信が男にはあった。  絶好のタイミング、無風の瞬間、完璧な狙撃だったはずだ。  なのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。  しかも一瞬、目標でないはずの少女が、何か投げた気がした。それのせいで弾道が逸れた? そんな馬鹿な。どうやって数百mも離れた場所からの狙撃を感知して、命中する前に防ぐことができるのだ。  銃に撃たれるというのは、そういう気づけば避けれるとかいう類のものではない。  人間が異常に気付いて反応起こすまで、脳の神経回路を通じて筋肉が稼働するまで、どんなに早くても0.1秒。  音速を超える弾丸はそれだけあれば視界に入って、容易に標的の命を奪う。  つまるところ、人間の身体はそもそも、このバカげた兵器に対処できるように作られていないのだ。  だから、ありえない。  ただ、そういうありえない『何か』を、男はかつての戦場で何度か目にしていたはずだった。  数百m、ともすれば数㎞先からの狙撃に気付いて『なんかやばいからここにいるのはまずい』と勘づくような人間が、戦場を歩いていると偶に会うのだ。しかも、そういう人間が言う場所は決まって、後から見返してみれば、狙撃ポイントが存在したり、実際に狙撃手が待ち構えていたりした。  あの年端もいかない少女たちに、そんな勘が働いたのだろうか。  わからない。というか、あの目標とは違うもう一人の少女は一体何者だったのだ。  情報屋から仕入れた情報にも載って無かった。今日突然現れた。  いったい何者なのだろうか。もしかして、今、自分は何か致命的なミスを犯しているのではないだろうか。  男がそう思案すると同時に、キッチンの陰からゆらりと小さいほうの少女があらわれた。  黒いパーカー、黒い髪、そこから覗く真っ黒な、何かを吸い込むような黒い瞳。  男の射線上に、何の警戒もなく何気ない様相でその身体を晒してる。  誘ってる? そん馬鹿な。  男の息がわずかに詰まった。心臓が少し細く、でも速く、脈打った。  その迷いを打ち消すように、男は少女の胴体に狙いを定めた。  そして、一思いに引き金を引いた。  ――――――しまった。  引き金を引いた瞬間。何故かそんな言葉が男の頭に響いていた。  原因はいくつかあった。  まず、狙撃手として男はあまりに弾を撃ちすぎたというのが一つある。  通常、何発も撃っていれば場所を特定される恐れがあるから、定点にはとどまらないのが狙撃手の常道だ。  加えて撃った瞬間に少女の身体が深く沈んだ。地面を這うように、身体ごと堕ちるように。銃弾は少女の頭上を掠めていくだけにとどまった。  最後の原因は、男の勘違いだったのかもしれない。  でも、確かに、その一瞬、男は照準の中で()()()()()()()()()()。  ――――視られた。  数百mは離れている自分の姿を、スコープ越しに。    そんな馬鹿な話があるわけない、だが何かよくわからないが、まずいことになっている。  そう判断したときには、少女はもう空中に飛び出していた。  割れた窓ガラスをそのままに、ベランダのテラスを踏み越えて。  少女は飛んでいた。  みつき―――と名付けられたその少女は、特殊な訓練を受けた組織(テナント)子飼いの殺し屋だ。  超人的な行いが出来るよう造り変えら(弄ら)れているが、そんな彼女でも通常のルートを通っては、狙撃手の位置まで数分はかかってしまう。  ただそれは、階段を降りて、道を走ってという、普通の人間が通るルートを通ればの話だ。  みつきがいたビルの三階から、男が狙撃点として使っていたビルの屋上まで三階から四階建てのビルが点々と並んでいる。丁度、川岸の向こうへ岩が点々と並んでいるかのように。  だから、飛んだ。至極当然に、少女は、何の疑問を抱くこともなく。  素足のまま、ビルとビルの間をほぼ一足飛びで。  元来年相応の少女にあるはずの、銃という日常の異物に対する忌避感も、堕ちれば死ぬという高所への恐怖も、造ら(壊さ)れた彼女の脳は受け付けない。  少女は、ただ、真っすぐに、狙撃手への空間的最短経路を、ひた走る。  慌てた男は、やけくそ気味に引き金を引いたが、当然あてもない方向に銃弾が飛んでいき、無関係な箇所に着弾した。その行いは後日警察の疑問の種が一つ増える程度にとどまった。  そうしている間にも少女は、走る。  跳ぶ。  奔る。  飛ぶ。  室外機の上を。  屋根の瓦の上を。  窓のへりを。  配管を。  全てを足場にして。  ただ、前へ、前へ、と飛び続ける。  その間にも男はもう一発、弾を撃った。  今度の狙いは的を射てこそいたが、動揺に満ちた男の射線を、少女は首を振るだけで躱していた。  それは時間にしておおよそ十秒にも満たない攻防だったが。  結末はあっけなく訪れる。  男との距離がビル三棟分ほどになったところで、少女は手に持っていた包丁を投擲する構えを取った。  距離にしておよそ数十m、この程度ならば外さない。  数瞬の後に、少女が投擲した包丁は、違わず男の首元を深く穿つだろう。  そう少女が確信したと同時に。  ()()()()()()()()()()()()()。  瞬間。  ()()()()()()()()()()()()。  少女の仕業ではない、なにせ、まだ包丁を投擲すらしていない。  横槍。狙撃手、もう一人。  そう認識して、一瞬少女は体を硬くする。次弾が自分の次の着地と同時に身体に突き刺さることを覚悟して。  そして、数瞬遅れて、ビルの間を高く響くような銃声が木霊した。  ただ、少女の警戒とは裏腹に、着地しても次弾は飛んでこない。  そこまで、理解して少女は、そのもう一人に対して臨戦態勢を取らなかった。包丁もそっと下ろして構えを解いた。  そして、砲弾めいた勢いを殺しながら、男がいたビルの屋上に着地すると、少し呆れた様相で男の様子を見降ろした。  銃を破壊された男は首や手のあちこちから血を吹き出している―――が、まあほっといても死ぬほどの傷ではない。手元で鉄塊が破砕してこの程度で済んでいるのだから、むしろ運がいい。  少女は男の荷物を無造作に漁ると、適当に使えそうな結束バンドを見つけて男の足首と手首を縛った。  『命令』は遂行できた。主人の危険の排除、そして少女も当然生きており、怪我もない。  ただ決着の一撃は少女ではない誰かによって、もたらされた。  どこぞの新手だ。味方かどうかもわからないが。  ただ、こうやって足を止めても狙撃されないあたり、とりあえず今敵対する気はないらしい。まあ、そもそも撃つ気があったなら、その前に撃つ機会はいくらでもあっただろう。    少女が敵と判断しなかったのは、それくらいの理由だった。  とりあえず、少女が男を持って帰ろうと肩に米俵の要領で担いだころに、高く、でもどことなく軽い音がビルの谷間にもう一度、響き渡った。  タァンと、遠く、何処か遠くで。  実際に撃たれてはいない。空砲を空に向かって撃ったのだろう。終戦の合図か何かのために。周囲に他の敵らしき気配もない、数百m先の主人の家も、ハヤシライスと窓ガラス、他調度品が吹っ飛んでいることを除けば平和そのものだ。  響く銃声が随分と遠いことに、少女は若干嫌気がさした。  あまりにも遠すぎる。どうにも、今捕まえたのとは別に、腕のいい狙撃手がいるらしい。しかも、それが敵か味方かもわからない。  あと、今の主人の元で最初の仕事だったというのに、最後の最後にどこかの誰かに成果を横取りされてしまった。  それが少しばかり悔しいような。  そんな本人すら気づかないほど些細な、年相応の少女らしい感情を想い出しながら、彼女はビルの谷間を飛んだ。当然、男を抱えたままに。  「はあ……初めてのちゃんとした『命令』だったのに……」  上手くできなかった―――という少女のぼやきは、痛みと落下によって引き起こされた男の叫び声にかき消された。ただ少女はそんなことは気にも留めず、ビルとビルの間を飛び続けた。主人の元に帰るために。  ふと見上げた空は、相も変わらず、青かった。
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