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殺し屋が倒れる、目覚めるのを待つ
つい。
ほんのついさっきのはずだ。
私の頭に銃弾が掠めたのは。
ほんのついさっき、私の命はあっけなく失われていたかもしれない。
そう、そのはずだ。
こめかみに、首元に、窓ガラスが飛び散った小さな切り傷がいくつかある。
それをなぞる当然痛い、嫌で嫌で仕方がない。
恐怖だってある。動揺も、もちろんある。
死の危険という耐えがたいほどのストレスが、ずっと私の脳髄を必死に揺らして仕方ない。
だけど、今、当の私は、指と口を絶え間なく動かし続けてる。
「いい、おばさんは出てきちゃダメ。地下室にこもってて。ただ三十分後に事後対応お願い」
「紗雪、把握してるでしょ、頼める? もう動いてる? さっすが」
「佐伯さんはこれから来る警察との折り合いお願い。一応、偽造工作もしておいて。そう大きな騒ぎにはならないと想うけど。反省はあとあと、今は動くの」
「あ、署長ですか。はい、すいません。またです、身柄の引き渡しはしますんで、大事にしないでいただけるととても助かります。はい、はい、申し訳ありません。はい、よろしくお願いします」
「真島さん? 今日お店お休み。臨時休業です! 給料? 働いてないのに出るか―。あ、何でも屋の方の仕事空いてるからそっち紹介しとくよ」
スマホで可能な限り、関係各所に連絡を回しておく。
現状の打開、安全の確保、事後処理の円滑化、あとはお店の後始末とか。
長年、ばばあに仕込まれた経験が、異常事態でも変わらず私の身体と口を動かしていく。
何時如何なる状況でも効率的に手番を動かす。
こめかみに銃口当てられながら、限られた制限時間の中で、チェスの最善手を打ち込むような、そういう在り方。
それがばばあ曰く、裏の稼業で生きていくうえで最も必要な技術の一つであり。
私にとって最も胸糞の悪い、ばばあから影響を受けてしまっている部分だった。
なーにこんな異常事態に、必要な連絡とかかましてんだか、我ながら。
普通、一分前に死にかけてたら、もっとすることあるでしょうに。泣くとか、喚くとか、怖がるとかさ。
いや、確かにそれらの感情は私の頭の中にいるはずなんだけど。
私の中の冷えた部分が、それらを全部置き去りにして、必要なことをただ淡々とこなしていく。
だってそうしないと、生きていけないし。
だってそうしないと、周りの人に迷惑が掛かるし。
だってそう、私はできてしまうのだし。
ピロンとスマホが音を立てた。
『任務完了です』と、画面に映るメッセージを、私は顔に力が入らなくなるのを感じながら、ただじっと見つめていた。
感情を受容れて、事実だけを見据えて、ただ合理的に手を打ち続ける。
こめかみに銃口を添えられて、首元にナイフを食い込まされて、口元に毒を含まされても。
それでも、尚。
ただ、合理的に。
そんなことができる自分が、私は少し嫌いだった。
知ってる人は、今は誰一人だって居ないけどね。
※
「ついさっきよ」
「何がー?」
「ご近所さんに、マフィアが襲撃でもしてきたんですか?! って聞かれたの」
「っぷっはっはっは、凄いねその人。なんて答えたのおばさん、それ」
「あまりにも可能性を否定できなくて『そうかもしれませんねー……』ってぼやくくらいしかできなかったわ」
「っはっはっは……ひぃ……だめ、おなかいたい。っひっひ……」
「笑い事じゃないっての、このバカ娘」
「っはーだめ。おなかいたい。てか、マフィアの人っぽいんだよね、あの殺し屋さん。紗雪が知らなかったから、組織がらみじゃないっぽいし」
「ああ、そう。ていうか、さっきまで泣いてたのに。復活早いわねー、あんた」
「なーいーてまーせーん」
「どこで意地張ってんの。いやあ、久々に見たわ、あんたが泣いてんの。しかも知らない女の子背負ってるし。あれねー、なんか昔同級生をそうやって背負って帰ってきたことあったわね。公園のブランコから落ちたーって言って。死んじゃうかもーって言って」
「せんせー、おばさんの想い出話は需要がありませーん」
「私に需要があんのよ。ったく」
「…………で、みつきの容態はどう?」
いつもの下らないやり取りを、保護者たるおばさんに向かって、してから私は本題を切り出した。
事態は大体数時間前に遡る。
殺し屋の襲撃があった後、みつきはものの数分でそれを撃退して帰ってきた。殺しちゃダメだよっていうのを言い損ねたから、少し心配だったけど。幸か不幸か殺し屋は捕縛された状態だった。
ていうか、なんなら言伝通り三十分後にドアをあけたら、すっかり暇そうにしたみつきと縛られた殺し屋さんがいたわけだ。背後で警察が困ったように首を傾げていたっけね。
それで殺し屋を警察に引き渡して、一応、形だけの取り調べが終わって帰ってきた頃だった。取り調べ室でかつ丼も食べてないので、お腹が減って仕方がなかった。
そして、せっかくだし、何かご飯にしよって、みつきにそう声をかけようとした瞬間だった。
尋常じゃない倒れ方だった。
ゆっくり力が抜けて、膝から落ちるとか、そういうんじゃなくて、突然操り人形の糸が切れたみたいに、なんの受け身も取らないままに絨毯の上にばたんと倒れた。あまりの勢いでおちたから、倒れたのが階段とかだったら大けがになってただろう。幸い、ソファの上に倒れたから、なんともなかったけど。これが、まだガラス片が散らばった床だったらと想うとぞっとする。
息は荒れて、酷く苦しそうで、声をかけても反応がなくて。
なんの対処方もわからなかったから、とりあえず、そのままみつきを背負って下の階のおばさんの病院に駆け込んだのがおおよそ二時間前のこと。おばさんは最初困惑してたけど、とりあえず訳も聞かずにベッドを貸して様態を見てくれた。
ちょっと前に佐伯さんが大慌てでやってきて、おばさんに何やら段ボールを色々渡してた。それからかな、みつきの状態がよくなって、今、ようやく面会可能って通されたわけだ。
面会可能って言ってはいるけれど、街の病院の小さなベッドに横たわるみつきは、未だに目覚めてはいない。病室に入れただけだ。
寝ながら息も少し苦しそうで、腕には点滴が繋がれたまま。
こんなとこで話して起きないの? っておばさんに最初に聞いたら、多分起きないし、起きるんならそっちの方がいいって返された。
つまり、まだ、気を失っている状態に変わりはないってこと。
「この子の容態ねぇ……。どういう状態なら『いい』って言えるのかが、私にはまずわかんないわ」
「………………」
おばさんは、電子タバコをふかしながら軽くそうぼやいた。院内は禁煙だから普段は吸わないけど、私といる時だけはこうして偶に吸っている。ただ、おばさんが電子タバコを吸うときは、決まって、あんまりろくでもない話の時だ。
「ねえ、はきり。佐伯ちゃんから大筋は聞いたけど、この子の身体、相当ろくでもないわよ。本気でこの子と暮らす気でいるの?」
おばさんはそう言って、デスクに肘をついたまま、私のことをじっと見た。
私は少しだけ細く、長く息を吐いた。
おばさんは、いい人だ。親を亡くして実質行くあてのなかった私に居場所をくれた人。
優しくて、大らかで、精神科医なんてやってるのに、実の娘との関係は随分とこじれちゃってる、そんな人。でも私のことをずっと気に掛けてくれてる大事な人。
私のことは尊重してくれるけど、私がくそババア絡みの裏稼業に関わるのは心底よく想ってない。
まあ、それに関しては私も同意見ではあるのだけど。向こうから首を突っ込んでくるからどうしようもないのだ。私だって、あんなくそババア関わらないで済むのなら、関わりたくないわけだしね。
だから、この問いは純然たる心配だと思う。おばさんは、この子を―――みつきをそばに置くことで、私がより危険な目にあうかもしれない。そう慮ってくれているのだ。
私はそこまで考えて、その上でゆっくり頷いた。
「うん、私はこの子と暮らすの。もう決めた」
私の言葉に、おばさんは電子タバコに目を落とすと、深く深く吸い込んだ。
「そらまた、なんで?」
おばさんの言葉に、私は少し首を傾げる。
「…………かわいいから?」
私の答えに、おばさんは黙って口から薄い煙を吐き出した。
少しだけ沈黙があった。
みつきの少し荒れた寝息だけが、病室に響いていた。
「あほなの?」
「いや、実際かわいいって大事じゃない?」
それから、おばさんは心底ため息をつくと頭をがりがりと掻き出した。ぼさぼさの髪が余計にしわくちゃになっていく。あーあ、元は美人の癖に、化粧もヘアセットもしないから、娘から距離を取られるのだ。かっわいそーう。
「かわいいで、首突っ込んでいい領域超えてるっての」
「いやあ、でも決めちゃったしねえ。今更、手放すのは酷いじゃない? 捨て猫拾って、三日で投げ出すみたいなもんでしょ。っていうか、この子がいてくれたから今日私は無事生きているわけですよ。もう一緒に居る理由としては充分じゃない」
「はー…………なんでうちの娘たちはこんなバカばっかなの……」
困った顔のおばさんに、私は思わずほくそ笑む。
「わあ、おやじくさーい」
「うちはお父さんいないから、代わりに私がおやじ部分を引き継いでるんですー」
「わあ、コメントしずらーい。離婚を持ちネタにしないでよー」
「本人がネタにしてんだからネタにすりゃあいいのよ。ったく……」
そう言っておばさんは、再び深々とため息をついた。しわ増えそーと想ったけど、これは言ったらグーパンが飛んでくる奴なので、私はそっと胸の内にしまいこんだ。
ちなみに、卑怯な話を一つすると、私がこうやって駄々をこねれば、おばさんは言うことを大概、聞いてくれる。
だっておばさん、優しいもん、あとかなーり、私に甘い。実の娘よりよっぽど甘い。まあ、私が普段は甘えず自立している成果ともいえるわけですが。
親友の忘れ形見の、たまにしか言わないわがままだ。このおばさんは聞かざる負えない。ふふ、我ながら卑怯な女だぜ。
「あんったはもう……、また余計なことに首突っ込んで……」
おばさんはそう言って、呆れてる。でも無理矢理私の選択を変えようとかそういうことはしてこない。あのばばあを見てるから、そういうことは絶対しない。
そして、そういう優しさに、私はずっと甘えてきた。
「言っとくけど、本当に深刻な子だからね。この……みつき? っていったっけ。ペット飼うのとはわけが違うよ。一人の人間、それもとびっきりややこしい人間と一緒に生きるの。生半可じゃない、最期を看取るくらいの覚悟はいるよ、それでもいいの?」
そう言っておばさんはどことなく辛そうな顔をして、私を見た。
私はそれに、笑顔で返すことしか出来ない。
最期、最期かあ。
それを私が看取ることはないことを、ただ願う、ばかりだけどね。
「うん、大丈夫。そんな安い覚悟で一緒に暮らそうって言ってないから」
そうやって笑えば、おばさんが何も言えなくなることは知ったまま。
「ほんっと、あんたらは……」
おばさんの瞳の中に、きっとお母さんの影が映っているのを知ったまま。
ただそうやって少し目を伏せた後、おばさんはふうっと強めに息を吐くと、電子タバコをしまい込んだ。
そして、机に置いてあった紙の一つを私に見せてきた。
その紙片はA4サイズ二・三枚くらいのものに、よくわからない単語がつらつらと書きつらねられている。表記的に英語っぽいのと、時折mlとかmgの表記があるから、何かの量を表しているんだと想うけど。
「なにこれ?」
私がそう尋ねると、おばさんはこっちを向かないままぶっきらぼうに返事をしてきた。
「そこで寝てるみつきって子に投与されてた、薬物のリスト」
え。と思わず声が漏れた。
ただそんな私をよそにおばさんは淡々と事実を述べる。……いや、淡々と言えるように精一杯声を押し殺してるって感じだろうか。
「向精神薬。興奮剤。活性剤。ホルモン調整剤に。ある種の麻酔。違法薬物ももちろん入ってて、幻覚剤、麻薬、わけわかんないのは致死毒に近いものまでetc.etc」
「……どういうこと?」
「さあ? そんなの私が聞きたい。一体どういう発想をすれば一人の人間にここまでの薬物を投与しようっていう発想になるのか。ただ、結論から言うと、この子は定期的に投与されてたその薬が足りなくなって、倒れたらしいってこと」
「…………はあ?」
頭の奥がじわじわと気持ち悪い物で満たされていくような感覚がある。
喉の奥が焼け付くみたいにじりじりと、苛ついて仕方がない。
「とりあえずわかるのは三つ。一つは、これを実行したやつは頭のおかしい変態だってこと。
二つ目は、この子を命令に従順な人形として造り上げるために、この頭おかしい投薬は行われてたってこと。
そして……三つ目は、それでも、このバカみたいな量の薬がないと、この子は生きていけないってこと」
開いた口が塞がらない。
胸の奥がじわじわと痛むけど、どうしたらいいのかがわからない。
私は薬とかそういうのは門外漢だから、よくわからないけど。
「せめて……その毒みたいなやつとか。麻薬みたいなやつだけでも止めれないの? どう考えても投与し続けるのやばいじゃん」
口から出る言葉に熱がこもる、ただそんな私に反しておばさんはただそっと首を横に振った。
「そうしたいのは山々だけど、薬の配合が複雑すぎて、今あるどれかを抜いてしまったら、別の薬が彼女なかで毒に転じる可能性もあるから、ダメ」
「え……?」
「ある種の毒が体内で相互作用を起こして、相殺してるみたいなの。まあ、私もよくわかんないけど、そうだとしか考えられない。……つまるところまあ、この配合を作った奴はね、人間の身体の中でトランプタワーを作ってるの。今は、薬が相互に干渉しあって、奇跡的にバランスが取れてるから彼女は生きてる。人形として生かされてるっていう方が正しいかもしれないけど。だからこそ、どれか一つを抜いてしまえば、全部のバランスが崩れて、彼女のどこかが壊れてもおかしくない」
「なに…………それ」
「………………裏を返すと、この配合通りなら、今のこの子は安定してるみたい。致死毒や、普通正気を保てない麻薬を複数身体に入れているのに、無事に生命活動を行ってる。だから、とりあえず今はこのまま行くしかないってこと」
「………………」
「……そんなに心配しないの。私も知り合いの医者に色々聞いて、ちょっとずつ糸口見つけるから、少しずつなら薬の量を減らしていけるかもしれないし。ゆっくりとだけど、どうにかなるから。いい、わかった? 焦って、変なことするんじゃないよ?」
「…………しないよ。また子ども扱いしてさ」
「実際、子どもなんだから仕方ないでしょ。とりあえず、打つもん打ったからあとは様子見。ここ開けとくから好きに使いなさい。眼が覚めたら連絡だけちょうだいね」
「うん……わかった」
そう言っておばさんは、電子タバコを消しながら病室から出ていった。
私はただじっと、眠るみつきの顔を眺めていた。
今、彼女の中に、数多の薬が渦巻いて、揺らいで、彼女の命を蝕んでる。紗雪からもらった資料に、彼女の予測稼働年数なんてものもあった。当然だけど、こんな無茶な処置をしてるから、刻まれている数字は十にも満たなかった。
ふうと思わず息を吐いた。
やること、山積みだなあ。まあ、これに関しては、私じゃあ今のところ手出しができないわけだけど。
とりあえず、みつきが起きたらご飯のやり直しをしようかな。
せっかくの初めてのご飯だったのに、余計な邪魔が入っちゃった。その後も食べるチャンスなかったし。
「はやくおきろー、眠り姫」
でないとあなたの主人が、お腹が空きすぎて餓死しちゃうかもしれないぞ。
なーんてね、ま、何にしてもできることから一つずつだ。
まず一つに、みつきの身体のことを知る。
それからおばさんと協力して、彼女の身体の毒を一つずつ取り除く。
それから、お店のことも紹介して、紗雪にも会わせて―――。
それから、それから、やること一杯だ。
ただ、そんな忙しなさも今だけは少し心地いい。
私はぼふっと頭を、みつきが眠るベッドに預けた。ベッドに耳をつけていると、みつきの寝息がよく聞こえてくる。
焦るな、惑うな。
出来ることから一つずつ。
君の幸せを見つけるために。
私はじっと眼を閉じた。
出来ることから一つずつ。
まずは今、休むことから。
小さな病室で二人の寝息が静かに微かに響いていた。
時折、鳴る、空腹の音が満たされることはもう少しだけ先のお話。
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