女神の噓に騙されて

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 呼ばれていなかった同窓会が数日前に行われていたことを知り、自暴自棄になっていたということもあるのだろう。夏の夜の孤独感を埋めるように慣れない深酒をしたのがよくなかった。  次の酒を求めて立ち上がった瞬間に中身が入った缶を踏みつけ、盛大にすっ転んでしまったのだ。そして後頭部を床に強く打ち付けたその衝撃が、俺の最後の感覚だった。  どうやら俺は、そこで死んでしまったらしい。あまりにも馬鹿みたいな原因で、俺の人生は終わりを迎えた。呆気ない最後で、惨めで下らない人生だった。  それでも俺が俺であるという認識は消えることがなかった。何も見えない。聞こえない。動かす身体もない。あるのはただ、自分自身の思念だけ。ここが死後の世界だとでもいうのだろうか。ただただ意識だけが残る、闇の奥底。  悔いしかない。なんでこんな風に死ななきゃいけないんだ。なんで俺だけが辛い目にあわなきゃいけないんだ。  なんで、なんで、なんで、どうして―—  荒れ狂う嵐のような怒りが、何もない空間のなかで暴れ回る。このまま消えてしまうのか。俺という存在が霧散してしまうのか。何もしないまま。何も成せなかったまま。 『貴方に、救いを授けましょう』  何も聞こえないはずだった闇の中からどこからか声が聞こえた。存在しない頭の中に響くような、不思議な感覚だ。異国の言葉を無理やり日本語に切り替えているような違和感があるが、そんな事を疑問に思うような状況ではない。今のこの状況の方が、よほど異様なことなのだから。  深く暗い闇の中に、光が指す。そこには古代ギリシアの神々のような服をまとった美女が俺を慈愛に満ちた微笑で見下ろしていた。先程の声と同じく、見えないのに、彼女の姿を認識している。現実離れした緑色の長い髪や、すらりと伸びた細い手足。芸術作品というよりも、アニメや漫画のキャラクターがそのまま飛び出してきたような姿。 『私はイアーラ。貴方の認識で例えるなら、異界の神の一柱です。貴方には世界を救う宿命があります。どうか、力を貸してください』  彼女の願いを拒否する選択肢はなかった。惨めな人生だとしても、自分が消えてなくなるのは、恐ろしいものなのだ。  紆余曲折は省くが、女神イアーラの加護により『超治癒能力』『死ぬ事のない強靭な肉体』というチカラを得た俺は、不死身の勇者ソータとして異世界へと降り立つことになった。女神の加護というものは物凄いもので、どんな怪我をしようが血を流そうが、一瞬のうちに完治する。まさに無敵の男そのものだ。  力を行使する相手も不足することはなかった。ゲームに出てくるような怪物を鋼鉄の段平で叩き潰していく快感は味わったことがないものだ。怪物はヒトガタのものから、ドラゴンのようなものすら存在したが、どいつもこいつも勇者の力の前には無力そのものだ。俺の一撃で腸と血液を撒き散らし、手に入れた素材で富を得る。  暴力によって命を奪うことを肯定され、賞賛されるのも未知の経験だった。勇者としての箔がつけばつくほどに、その賞賛は高まっていく。街を歩けばたくさんの羨望の眼差しや声援が俺の背中に注がれていく。  この世界の住人は、どこもかしこも美男美女で溢れていた。町娘から宿屋の女主人、鍛冶屋や食堂に至るまで。醜いものは、怪物ぐらいしか存在しない。美しい女たちは勇者である俺と身体を重ねることが至上の喜びのようで柔らかな肉で何もかも受け入れていく。細く長い手足が俺の身体に絡みつき、まるで一つの生き物に融けあうような極上の快楽を齎してくれた。  まるで嘘のような世界だ。そんな世界に祝福された俺は、冒険の中で集まった仲間たちと共に迷宮の攻略へとやってきた。話によるとここは上級の怪物たちが跋扈する恐ろしい場所らしい。まぁ、不死身の俺からしてみれば退屈さえ覚えるほどなのだが、イアーラ曰く世界を救う為にはそこで手に入る宝物がどうしても必要なのだという。美味しい思いをさせて貰っている分、ここは彼女の言葉に従い、足を踏み入れたというワケだ。 「■■■■■ーッ!」「■■■■■■■!」  人型でありながら人語を話さずただ意味のわからない叫びを上げるだけの醜悪な怪物たちを叩き斬り、迷宮を進んでいく。短剣を操り、まるで腕が何本もあるように軽やかに雑魚を切り抜けていく斥候のフェイ、杖の先から放たれる炎の魔法で纏めて薙ぎ払う魔術師セニ、後方にて的確な支援を行う神官のマヤカ。彼女らの助けもあり、順調に攻略していく。 「そろそろ最奥か」  疲労を感じることもなかった。楽勝の一言である。彼女達の助けもあり、あっという間に最終地点へと辿り着く。おどろおどろしい装飾が施された祭壇の近くで、怪物たちが俺たちを待ち構えているのがわかる。 「親玉の気配がいるね、気を付けていこう」 「おいおい、誰に言ってるんだよ」  その奥には、きっと女神の言っていた宝物が眠っているのだろう。期待に満ちたフェイの声を窘めるつもりはなかった。段平を肩に担ぎ直し、犬歯を剥き出しにしながら笑う。 「そうですわフェイさん。ソータ様が負けることなんてあり得ないんですから」 「き、気を付けるに越したこと、ないと思うけど……」  気弱なセニと優しげな声のマヤカ。自分だけでも十分だが、仲間となら確実だ。自信を胸に怪物たちの前へと進んでいく。祭壇の上で待ち構えていた怪物の親玉らしきものがこちらをぎろりと睨みつける。今迄で一番強い敵意。どうせ奴らの攻撃で死ぬことなどないが、後ろの三人を護る必要がある。どうしたものかと、奴らの唯ならぬ雰囲気に警戒しているうちに、先手を取られてしまう。 「■■■、■■■■■―—ッ!」  耳を劈くほどの絶叫とともに、奴の指先から一瞬で広がる閃光。これは魔法か⁉︎ コイツらは知性がないんじゃなかったのか⁉︎  驚いている間に光が収まり、視界が回復する。細めていた目を開き直すと、目の前にいた醜悪な怪物の姿が変わっていた。頭部の下に両手足が伸びた胴体があるという、人型である点は変わりはしなかったが、手足が長く、眼が小さく、それでいて額にもう一つの瞳がある。逆に言ってしまえば、それぐらいしか俺たちと何も違いはない。服は着ていなかったが、代わりに体表には薄緑の鱗のようなものが張り巡らされていて、それが服のように見えた。 「化ケ物ドモメ、許サンゾ……!」  くぐもってはいるが、彼の口から放たれたのは人の言葉だ。驚愕と困惑が頭の中で暴れ回る。何がなんだかわからない。先程までの醜悪なカタチはなんだったのか。それでも、今のカタチが正しいものだという漠然とした確信のようなものがあった。 「逧??∝、ァ荳亥、ォ縺――」 『皆、大丈夫か――』そう言葉にしようとしたが、それは叶わなかった。言葉が口から出てこない。出てくるのは獣のような唸り声だけだ。それだけではない。段平を握っていたはずの俺の手は、禍々しい爪が伸びた真っ黒な異形の腕になっていたのだ。  変化が起きたのは俺だけではない。すぐ後ろにいた仲間たちもまた、真っ黒な怪物へと姿を変えていた。  フェイらしきものの両手は全部で六本、両足は四本の異形であり、手の全てが鋭い鎌のように変形していた。彼女の素早い動きは、実際に沢山の手足を以て行われていたのか。  セニらしきものは、身体のほとんどが大きな口らしき部位で構成されており、そこからは薄緑色の液体とともに赤黒い焔が漏れている。醜悪さをかき集めたフォルムは、セニの慎ましさとは真逆そのものだった。  マヤカらしきものは、たくさんの小さな手足が生えた巨大な蛞蝓としか形容できない形状をしていて、全身からは粘液が常時溢れていた。抱き心地の良かった豊満な肉体の面影など、微塵も感じられなかった。 「菴輔′縺ゅ▲縺溘s縺ァ縺吶°繧ス繝シ繧ソ讒」 「諤悶>鬘斐@縺ヲ繧九h」 「譌ゥ縺乗雰繧貞?偵@縺セ縺励g縺」  彼女達の言葉らしきものも、意味をなさないものにしか聞こえない。俺の聴覚がイカれてしまったワケではない。実際にそれ以外の音―—環境音は変わりはしないのだから。 『あーあ、バレちゃいましたか』  突如、困惑に困惑を重ねている頭の中に響き渡るのは女神イアーラの声。初めて聞いた時と違って、人を心底から馬鹿にしたような、どこか飄々としたものだった。 『もしかしてぇ、本当に勇者になったと思ってたんですかー? そんなの真っ赤な嘘に決まってるじゃないですかぁ』  けらけらと愉しそうに笑う声が頭の中で反響していく。女神の言っていることがまるで理解できない。それでも、吹き出しそうになるのを必死に堪えているような彼女の声が、今の状況が紛れもない事実であることを改めて認識させていく。 『いやー、最っ高に見ものでしたよ。馬鹿そのものでしたねェ―—持て囃されて図に乗って、ヒトとかけ離れた存在のまま同族と(まぐわ)い続ける貴方の姿は』  全て騙されていたのか。何も考えることができない。冷静になれぬまま振るわれていく異形の爪は、目に見える全てを引き裂いていく。何度も身体を重ね合わせた仲間だったものも、対峙していた怪物だったものも。―—世界そのものすらも。 『くふふふふふ、まぁまぁ面白かったですよ、ソータさん』  それ以来、女神の声は聞こえることはなかった。  怒りのままに怪物は都市に生きる全ての命を殺した。国に生きる命を一つ残らず殺し尽くした。大陸に生きる命を区別なく殺していった。対抗すべく数多の怪物たちは武器を取ったが、あらゆる傷を即座に癒す肉体を持ち、決して死ぬことのない彼を止めることはできず、屍の山を築き上げるだけであった。  そうして数年の時が過ぎ、この世界に最後に残ったのは、死ぬことすらできない、かつて勇者と呼ばれていた怪物だけだった。
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