ミチルとトオル

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 それから一か月後。  友人が最初に予想した通りに、祭は楽しむ間もなくすぐに終わりを迎えた。  問題が解決したわけではない。  一ヶ月という時間のうちに、世間は幽霊に慣れてしまったのだ。  人類の適応力というにしても、その短さは予想外だった。  テレビでは幽霊など忘れたかのように界隈のスキャンダルを仰々しく報じていた。  動画サイトにはDIYとゲーム実況と、ときどき思い出したかのように使い古しの陰謀論が(ささや)かれている。  そして講義室には、相変わらずふらふらと白い人影が浮かんでいた。  あまりにもあっけなく、非日常は日常に吸収されたのだ。  充は教壇上の空中に横たわる、世間一般的には美女とカテゴライズされるだろう容姿の幽霊に視線を送っていた。  衣服をまとわないその姿には劣情を誘うものがあっても良いようなものだが、なぜか、そういった性癖の暴露などを見ることはなかった。  無意識のうちにその類の情報から目をそらしていたのか、そもそも幽霊という存在自体がそういう存在なのかは、わからない。 「つぎの講義、レポート提出いつだっけ。来週?」  隣でスマートフォンをいじるヨシミツが聞いてきた。  画面には幽霊ではない、生身の人間の艶めかしい裸体が写っており、その豪胆さに尊敬の念さえ抱きそうになる。  絶対に尊敬することはないだろうが。 「……先週中にポスト投函」 「……あちゃー」  無慈悲な事実は常に無意味に明るい友人をうなだれさせる。 「あー。やっちゃったなー。……もうサボっちゃう?」 「自分のミスに他人を巻き込もうとしないで」 「つれないねー」  軽口をいなしながら、充は認知心理学概論のテキストとノートを用意していた。卒業までに一つとして単位を落とすつもりはないのだ。 「あーあ。どっかにキレイなおねーさまの幽霊でもいて、この痛む心を癒してくれないかなー」  ヨシミツは退屈そうに講義室の硬い椅子にもたれ、教壇にむけて目を細めた。 「今の、すごいおじさんっぽい。癒やされても単位はもらえないよ」 「単位が世界のすべてじゃないぜー、学生」  そう言う本人も学生であり、学生の本分は学問であることに違いないのだが。  反論したところで無為な議論を繰り広げてしまうだけだろうと、教科書と筆記具を丁寧に並べて講義の準備を終えた充は、視線を前に戻す。  教壇の上では相変わらず、どことなく身に覚えのある白髪の美女が、肢体を晒して浮いていた。 「おねーさまがいたら教えろよ学生」  友人のおちゃらけた声に、「うん」とだけ返事をする。
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