4

1/1
前へ
/4ページ
次へ

4

 ある日の朝、あたしのお姉ちゃんが溶けていた。  比喩表現とかじゃなく、本当に全身が溶けていた。  あたしとお姉ちゃんは別々の部屋だけれど、お姉ちゃんが何度もあたしを呼ぶ声が聞こえたので覗いて見たら、驚きの光景。でも不思議と、怖くもなければ気持ち悪くもなかった。 「ねえマヤ、わたし、今どうなってる?」  ベッドの上の溶けたお姉ちゃんが、か細い声でそう尋ねてきた。幸い、顔のパーツは残っていた。 「溶けちゃってるよ」あたしは正直に答えた。 「やっぱりそうか……さっき目が覚めたら何か変な感じがしてさ」 「痛かったりしない?」 「全然」  あたしのお姉ちゃんが不登校と引きこもりになったのは二年前。中学三年に上がるちょっと前だった。  原因は、当時お姉ちゃんのクラスメートだった雪見酒冬一郎という男子だ。  お姉ちゃんは中学二年のバレンタインデーに、雪見酒に手作りのチョコレート菓子をプレゼントした。土曜日だったけれど、わざわざ学校まで出向き、部活動中の雪見酒を体育館裏に連れてゆき、勇気を出して告白したのだ。  チョコレート菓子は受け取って貰えたものの、お姉ちゃんはその場でフラれた。雪見酒は申し訳なさそうに謝罪とお礼を口にしたので、お姉ちゃんはとりあえず納得した。  恥ずかしいから、この事は誰にも言わないでほしいとお姉ちゃんは頼み、雪見酒は了承した。  でも、次の月曜日の放課後。  帰宅しようとしていたお姉ちゃんは、数人の仲のいい男子生徒たちと体育館裏に向かう雪見酒を見掛け、好奇心と諦め切れない恋心から、後をつけた。  そして、雪見酒の本心と本性を知ってしまった。  雪見酒は、土曜日にお姉ちゃんからチョコレート菓子を貰った事を、その場にいた男子たちに笑いながらバラした。更にその後続けた悪口の数々は、元々傷付きやすい繊細なお姉ちゃんに大ダメージを与えるには充分過ぎた。 「あんなブスから貰っても全然嬉しかねえよ」 「マジでキモかったからさ、チョコは家帰ってから速攻で捨てたわ」 「目は一重(ひとえ)で小せえし、鼻はデカくて唇はタラコみてえ。二〇点だな。まあ、勇気を出して告白出来たんだから二点おまけで、二二点!」  溶けたお姉ちゃんは、食事を取れなくなったためか、日に日に少しずつ弱っていった。 「やっぱりお父さんとお母さんに相談した方が──」 「いい。あの二人には黙っておいて」  お姉ちゃんが引きこもりになると、お父さんとお母さんは、最初のうちこそ何とかしようとしていたけれど、半年もしないで諦めてしまった。お姉ちゃんの部屋に食事を運んだり、定期的に声を掛けてあげるのも、全てあたしの役目になっていた。 「お姉ちゃん、このままじゃ死んじゃうよ」 「むしろわたしはとっとと死にたかったんだから、それでいいんだよ。いつまでもこんな状態で生き続ける方が嫌なのに」  あたしが返事に詰まっていると、お姉ちゃんはふと思い出したように、 「今日って二月一四日だっけ」 「ううん、その前日。一三日だよ」 「そっか。前日か……」  お姉ちゃんは沈黙した。きっと雪見酒に受けた仕打ちを思い出しているのだろう。そうやって度々思い出しては、泣いたり怒ったりする事が以前は多々あったけれど、最近は割と落ち着いていた。  この時のお姉ちゃんは、泣きも怒りもしなかった。 「マヤ……最後のお願いを聞いてくれる?」  意を決したようなお姉ちゃんの言葉に、あたしはどんな内容なのかは聞かずに頷いていた。お姉ちゃんがあたしに何を頼もうとしているのか、不思議とわかってしまったのだ。  そして、拒否しようとは思わなかった。  とある男子高校生がバレンタインデーに事故死したというニュースは、世間でちょっとした話題になったけれど、一週間も経たないうちに別のニュース──芸能人や政治家のスキャンダルとか──に取って代わられた。  それでも、少なくともあたしの周辺では、まだまだこの話題は尽きそうにない。 「この間死んじゃった男子高校生って、うちの中学出身らしいぞ」 「知ってる。結構モテて、バレンタインには毎年沢山プレゼント貰ってたけど、相当性格悪かったみたい。プレゼントくれた女子一人一人に陰で点数付けて、笑いものにしてたって話だよ」 「バチ当たったんじゃない? ていうかチョコレートの大きな塊を喉に詰まらせるとか、どれだけ食い意地張ってんのよ」  お姉ちゃん、ちょっと強引なところがあったからなあ。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加