かのこ

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「俺、今日機嫌が悪いから」 そう耀司が言ったとき、鹿乃子はぞっとした。 けれど反対に、またか。というような冷めた諦めもあった。 耀司は鹿乃子と交際して5年になる恋人で、家電量販店に勤めている。 接客業の全てがそうではないかと鹿乃子は思うけど、気を遣ったり、クレーマーや業務外のサービスまでさせられて大変らしい。 そうして耀司は決まって、「まあ、鹿乃子には出来ないね」と言うのだった。 そんなこと言われたら、特別養護老人ホームに勤めている鹿乃子だって、先日は利用者さんに便汚染のオムツを投げられた上に他の職員に助けを呼んでも昼食前で誰も来ず、弱った老齢の体を傷つけないよう暴れるのを食い止めながら汚染が広がらぬよう手や顔を拭き、シーツや衣類を取り替えたり消毒したりとんでもない「お祭り」だったのだ。 そんなこと「耀司には出来ないね」とは言えない。だってそんなことを言ったら耀司は、「偉そうに!」とか「俺がお前より下なのかよ!」とキレるに決まっている。 耀司は鹿乃子よりひとつ年下である。 家電量販店勤務の傍ら、売れないバンドマンをやっていて、バンドすらメンバーが抜けてソロ活動をしている。 弾き語りライブにはあまり客はおらず、演者本人たちのほうが多いくらいだ。 だけど、鹿乃子はそんな耀司のライブに足を運んで専属カメラマンの如く写真を撮り、絶賛するのが決まりだった。 帰りの電車が混んでいて不機嫌ならば、ピエロのように戯けて耀司を笑わせ、耀司に貸した指輪を耀司が失くして逆ギレしたって、鹿乃子は逆に謝るのだ。 なんで?そんな男やめなよ?みんなそう言うのだが、人に当たらないと生きられない「弱い」耀司を鹿乃子は「守ってあげなきゃ」と感じてしまう。 そんな歪んだ関係のふたり。
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