わいふぁい鳥

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 空港のロビーを出ると、おびただしい数の鳥がバサバサと飛び交っていた。 「あ、聡美ー! こっちこっち!」  聞き覚えのある声がした方を見ると、大きく手を振るミキの姿があった。  その手の先に、肩に、頭の上に、至る所に手のひらサイズの鳥がとまって羽を休めている。身体中に鳥を纏わせたまま、特に気にもしない様子でミキはこちらに向かって歩いてきた。 「フライト長かったでしょー。疲れてる?」 「ううん。機内で寝てたから、そこまでじゃないよ」 「本当? じゃあちょっとその辺でお茶してこうよ。久々に運転したら、あたしヘトヘト」 「ごめんねー。遠い所、迎え頼んじゃって」 「ううん、大丈夫大丈夫。あたしも聡美に会いたかったし。お店、どこでもいい?」 「うん。できれば軽く何か食べたいかな」 「オッケー、あたしもわいふぁい飛んでるところならどこでもいいよ」  スーツケースを引きずり、ミキと二人でその辺りをウロウロと歩いた。どこでもいい、と言いつつも「カレーはちょっと」とか「中華は重い」とか、二人して優柔不断のクセが出てしまって、随分と歩くことになってしまった。  結局、軽食の取れる喫茶店に入ることに決めた。私はアッサムティーとタマゴのサンドイッチ、ミキはカフェオレとパンケーキを頼んだ。  喫茶店の中でも鳥はバサバサと翼を広げていて、日本の衛生感的にこれは大丈夫なのか、と私は少し心配になった。 「それにしても凄いよね」 「えっ、何が?」  ミキはスマホを取り出し、パンケーキの写真を撮っている。 「この鳥だよ。飛行機降りてから、ずっといる」 「あー、わいふぁい鳥ね。最近はけっこうどの店でも飛ばせるから、便利になったよ。あたし、すぐ通信制限かかっちゃうから助かってる。オーストラリアにはいないんだっけ」 「うん、あんまり見なかったなぁ」 「へぇ、不便だね……。そうだ、写真撮ろうよ。ツーショットでさ」  そういうと、ミキは手に持ったスマホを高く掲げた。画角に収まるようにテーブルの上で顔を近づけて、スマホに笑顔を向ける。手慣れた様子でシャッターを何度か押し、すぐさま画面を確認する。 「写真、SNSにあげてもいい?」 「別にいいよ。やっぱりミキもやってるんだね」 「今はみんなやってるよぉ。っていうか、やってないの聡美ぐらいじゃない?」  そうかなぁ、と呟いてサンドイッチにかじりつく。ミキのパンケーキにはまだ手が付けられていない。てっぺんに置かれたバターが、半分溶けてずるりとすべり落ちていった。  不意にバサバサ、と音がして二、三羽の鳥が私達の方に向かって飛んでくる。  きれいに整列してテーブルの端に並んだ鳥達は、こちらにお尻を向けてフルフルと小刻みに揺れた。 「あ、この子たちウンチするつもりじゃない?」  オーストラリアで鳥類の保護をしていた時、よく目にした挙動だったから私はついそう口走った。 「ちょっと聡美何言ってんのぉ」  そういってミキはケラケラと笑った。 「これは『イイね』だよ」 「イイね?」  コロリ、と固いものが転がる音がした。  羽音を立てて鳥達が飛び去っていく。その後には小さな石のようなものが残されていた。ハートに似た形で、ほのかにピンク色に見えるその石を、ミキは大事そうにバッグにしまう。 「うーん、3つかあ。まぁ時間帯が時間帯だし、こんなもんかなぁ」 「なんなの、これ」 「うーん、まぁ承認の証、みたいなものかなぁ。さっき聡美と撮った写真を見た人達が、良いと思ってくれた証拠みたいな。わいふぁい鳥が運んできてくれるの」 「へぇ……」  改めて店内を見渡してみると、至る所でわいふぁい鳥は飛び回り、そして『イイね』を産み落としていた。人々は皆『イイね』を大切そうに保管していた。専用の入れ物なのだろうか、パンパンになった巾着袋を携えている人もいた。 「これって集めてどうするの?」 「どうするって……いっぱい持っていた方が嬉しいじゃん。それだけ沢山の人が見てくれたっていう証拠にもなるし」 「なるほど」 「『イイね』は、今やお金よりも価値があるものかもしれないって言われてるんだよ。聡美もはやく集めといた方がいいよ」 「うーん、考えとく」  日本を離れている数年の間に、随分と状況が変わったんだなぁ、と私はしみじみ感じた。  ふとテーブルの端をみると、一羽のわいふぁい鳥が羽を休めている。小首を傾げる仕草が可愛くて、私は思わず微笑んだ。    日本中で大混乱が起きたのは、その年の冬の事だった。  国内の情報インフラを支えていたわいふぁい鳥が、数年に一度の移動時期を迎えて一斉に国外へ飛び立っていったのだ。 「無料で使い放題」というサービスは失われ、月の後半ともなるとスマホを片手に町中をうろつく人達が増えた。  まだ国内にわずかに残る渡り遅れのわいふぁい鳥を探しているのだ。  また、『イイね』の所有権を巡っての争いも町の各所でしばしば起こるようになった。わいふぁい鳥が去った事で、『イイね』の総数も無限では無くなったからだ。  金銭で『イイね』の買取や売却をする業者も現れたらしい。ミキの言っていた事も、あながち大袈裟では無かったのだと感心した。   「うー、さむいさむい。お邪魔しまぁす」 「はいどうぞー。いまお茶いれるね」  急に遊びに来ると言うので、駅まで歩いてミキを迎えに行った。  道すがら、「ほんと、どっこにもいなくなっちゃったねー、わいふぁい鳥」とミキはため息を洩らした。私にとっては、町中が常に大量の鳥で溢れている時の方が異常に感じられていたので、なんだか変な感じだった。正常、という感覚はほんの数年で変わってしまうもののようだ。 「あ、暖かい。暖房入れたまんまなんだね」 「うん、今お客さんいるから」 「えっ、あたしのこと?」 「ううん、あの子」  私の部屋の窓際にはちょうどいい高さの止まり木を用意していて、そこに鳥が一羽とまっている。  わいふぁい鳥のピーちゃんだ。 「えっ、わいふぁい鳥じゃん! やった、通信できる!」  ミキは喜び勇んでスマホを取り出そうとする。 「ちょっと待って、ミキ。その子、羽をケガしてるんだよ。無理に通信させたらダメだよ」  ピーちゃんの羽は、何かの動物に攻撃されてしまったのか、よくない方向に折れ曲がっていた。動物病院に連れていったところ、「情報機器は専門外です」とにべもなく断られてしまったので、オーストラリアに行っていた時にかじった応急処置で手当てをした。それ以来、ピーちゃんは私の部屋にいる。羽が治るまでの、仮宿だ。 「えー、じゃあ写真撮っていい? 今となっては珍しいし」 「いいけど、どうせアップロードは出来ないんじゃない?」 「ああ、それもそうか……」  ミキは残念そうにスマホをしまう。  手のひらにエサをのせて近づけると、ピーちゃんはヒョコヒョコと歩いて小首を傾げた後に、嘴でツンツンと突いてきた。  その小気味良いリズムが愛おしく感じる。 「……聡美は、昔から鳥が好きだったもんねぇ」 「まぁ酉年だからね」 「関係あんのそれ。ってか、あたしも酉年だし!」 「それもそうだね、あはは」  私達が声を合わせて笑うと、ピーちゃんも小さくさえずった。 「はやく回復してねぇ」とミキが言う。それがピーちゃんに対する言葉なのか、わいふぁい鳥というシステムに対する言葉なのか。ミキの真意を知るのが、私は怖かった。    ピーちゃんの羽が良くなったのは、桜の花びらが綻び始めた頃だった。包帯を外し、部屋の中を短く飛び始めてから数日。あとはピーちゃん次第、というところだ。  窓を開けてその時を待つ。  ふと、桜の花びらが一枚、風に吹かれて窓から迷い込んでくる。それを拾おうとしてしゃがんだ瞬間、バサバサッという羽の音がした。顔を上げると、青い空に溶け込んでいくピーちゃんの後ろ姿が見えた。羽は大丈夫そうだ。私はホッと胸を撫で下ろした。  いなくなったピーちゃんの仮宿を片付けようと自作の鳥の巣に目をやると、なにやら小石の様なものが落ちている。  ハート型で、ほのかにピンク色に見えた。  それは『イイね』だった。  私はまだ、ミンスタもSNSもやっていない。誰にも『イイね』を貰える環境にないのに何故。そう思ったけれど、すぐに気がついた。  私を良いと思ってくれる相手は、この部屋にずっといたのだ。 「これは君からの『イイね』なんだね、ピーちゃん」  誰にいうでもなく、そう呟いた。  今まであまり価値がわからなかったけれど、唯一この『イイね』のことは、本当に大切にしようと思った。  
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