11人が本棚に入れています
本棚に追加
雉沼の仕事の一つは情報を広めないことだった。ここで話したら本末転倒だ。
だが、フェイは質問に何がなんでも答えさせる態度だった。雉沼は尋問を受ける訓練を受けていないので、いつまでも黙っていられる自信はない。
どうするべきか。
来訪者がやって来たのはそんな雉沼の迷いが消える前だった。
「水汐って女はここにいるかい?」
フェイが真っ先に反応して手槍の先端を向ける。雉沼が次いだ。
牛舎の入口に男が立っていた。年の頃は20代後半といった具合。禿げ頭が光を反射し、全体的に丸い身体をしていて身長はあまり高くなく、160cm台の半ば。古ぼけたジーンズにすっかり色あせたコーチジャケットを着ている。彼の太めの手には棒が握られていた。がっしりとした頑丈な見た目をしている、長さ1m程の棒だった。
フェイ達の警戒を余所に、彼は順繰りに視線を振りまきながら闊歩していく。
「なんだか知らんが予想外の状況だな。全員その子にやられたってか?」
彼の瞳が、フェイに止まる。
嫌らしく目が細められ、口元が嬉しそうに歪んでいる。フェイは嫌悪感に目に力を込めた。
「何だ? コートの下はエライことになってるっぽいな。その服で戦ったのかい、見たかったねぇ」
出会ってすぐに嫌いになれるタイプだった。雉沼とヤマが戸惑う中、フェイは敵意を隠さずに彼を見返す。
来訪者は何度か頷きながら口を動かす。
「普段の巫女姿を清楚でいいが、そういう格好もいいねぇ」
「……私のことを知ってるんですか?」
「まあな。何、参拝客の一人さ」
来訪者は無遠慮にフェイの胸元に視線を送る。
反射的に、手槍を持つ左腕を胸の前に置く。気持ち悪いと吐き捨て、目線を強くした。
「何の用ですか? 忙しいので手短にお願いしたいのですが」
「迎えに来たのさ。オメェを特定の場所に連れてくように頼まれてね」
疑問があぶくのように一気に立ち昇り、フェイはその内の一つを掬い出した。
「頼まれた? 誰にですか?」
「誰って言うか、免罪符のポイント贈呈の依頼が来たから……って言っても分からんよな。まあ、兎に角俺についてきてくれねーか」
「行く訳がないでしょう」
フェイが言った直後だった。
ヤクザの一人が出し抜けに立ち上がった。顔を見れば最初にフェイが倒した男で、彼は状況が分かっていない様子でふらふらと来訪者に近寄って行った。
「くそ、なんだ、どうなってるんだ。おい、誰だお前——」
強烈な一撃が披露される。
来訪者は豪快に棒を振り回した。全身を左に回し、風を唸らせて振り抜く棒が男の脇腹に直撃した。肉の潰れる音と肋骨の折れる音が声にならない悲鳴と共に驚くフェイの耳に届く。
為す術なく男は転がった。
来訪者は鼻を鳴らし、喘ぐ男を見下ろした。彼の表情には薄い笑みが張り付いている。
「気やすく口を利いてくるんじゃねェ、三下が」
棒を高く持ち上げるのが必死になって顔を上げた男の目に映る。
殺意が形になった光景だった。
恐怖に目を見開く男の脳天に棒が注がれる寸前、フェイが振り下ろした刀の一打が軌道に重なる。
加えられた重さに押されて棒が逸れていく。重撃は男の右側に流され、風のみを砕いた。
来訪者が驚き、フェイは強く見上げると同時に左手に持つカランビットナイフを彼の首に当てた。
さながら手品の如き早業に来訪者が口笛を吹き、フェイは動くなと警告した。おどけた様子で来訪者は棒から手を離す。
棒の倒れるずっしりとした重低音を足の裏で感じ取ったところで、フェイは倒れている男の状態を横目で確認した。
男は痛めた箇所を庇いながら、フェイを見上げて不思議そうに目を瞬く。口がどうして、と形を作った。
フェイは無表情のまま彼の疑問を無視し、来訪者は唇を歪めた。
「優しいね。いいよ、好きだよ、そういう子」
「何のつもりですか? 私が逸らさなくてはおそらく死んでいましたよ」
来訪者はわざとらしく頭を振った。
「別に困らないだろ。あ、でも殺人の免罪符を取得してないからまずいか。危ない危ない、またやっちまうとこだった」
「さっきから何を言ってるんですか? いや、それよりも貴方、何者ですか? 随分と加害行為に慣れているようですけど」
フェイが強い口調で訊くと、彼はしまったと上げていた手を額に落とす。
「こいつ失礼した。名乗りが遅れたな。起尾(おび)テイってもんだ。じゃあ自己紹介も済んだし、デートとしゃれこもうか」
「まだ言ってるんですか? だから、行く訳がないでしょう」
カスイ達も心配している筈だ。フェイとしては早く帰路につきたいのに、こんな物騒で無神経な男について行く道理がなかった。
起尾は挑発的に眉を持ち上げ、フェイが不愉快に目を細めた。
最初のコメントを投稿しよう!