1.巫女弓道和装学生

2/3
前へ
/37ページ
次へ
 積緩町は神奈川県の一角にあり、観光資源も特になく、特産品もこれといってない場所だった。  過疎化が進み、起死回生を狙った開発のハリボテだけが大きく目に残る。 過去しかない町だった。影のみが伸びて、しかし実体が見えることはない。 実体が出来上がったのは18年前のことだ。民間警備会社の『ロウ・ディフェンダー』が設立されたのだ。  その時はまだ影の中に埋もれている程度の小さな存在に過ぎなかった。 当時は海外で鍛え抜かれたプロフェッショナルを派遣します、といったB級映画にありがちなキャッチコピーと共に自社を紹介していた、特に目に留まることのない警備会社だった。    ロウ・ディフェンダーがその存在感を表すようになったのは、発足から一年後のことだ。  新進気鋭だった政党、浪士党がロウ・ディフェンダーを専属SPとして起用したことがきっかけだ。  よく言えば威勢のいい、悪く言えば過激な物言いで度々物議を醸しだす政党だった。差別的な態度に加えて問題発言をよくする彼らを毛嫌いする人々もいれば、その姿勢を型破りで頼もしいと高らかに評する人もいた。  浪士党は日本のSPがいかに無能なのかも口汚く指摘していた。彼らの護衛についたSPはノイローゼになるほど悪態を吐かれるという噂もあったほどだ。敢えて護衛しにくい場所に赴いて些細なミスを誘発して、責任追及するというあくどいやり方をとっていたという話も、まことしやかに囁かれていた。 そんな浪士党のお墨付きをもらったのが、ロウ・ディフェンダーだった。  ロウ・ディフェンダーこそ真の守護者であり、今の日本に必要な人材なのだと浪士党の面々は選挙や番組で声高らかに宣伝した。  そんなこともあり、浪士党の警護体制は公民混同の歪な状態が出来上がっていた。  SPを起用しつつも、ロウ・ディフェンダーを雇用して同時に警護にあたらせたのだ。  お互いの連絡方法や装備も違うのはまだよい方で、現場で初めて互いの警備箇所が判明するという冗談みたいな状況が起き、急遽警備するポイントや人員を変更するなど、トラブルは兎に角絶えなかった。  浪士党は発生する問題の全てをSPのせいにして、ロウ・ディフェンダーを庇った。無論、そんな浪士党に非難の声は上がったが、この政党の強みの一つがそこで活きた。元芸能人を多数起用した浪士党は、その繋がりから番組関係者とコネを作ることに成功していたのだ。  神奈川の地方ローカル番組に浪士党は出演しまくった。ニュース番組からお笑いまで、それこそ独占的と言っていいレベルで彼らは自分たちの色を投入し続けたのだ。  だからこそ、SPへの非難のみが洪水のように流れ、ロウ・ディフェンダーへの疑問の声はその濁流の中に呑み込まれていった。  それでもまだ、このあからさまなやり方にはついていけない者も多く、徐々に非難の声も大きくなっていた。元SPが立ち上げた反浪士党を掲げる市民団体の地道な活動も、確実に実っていた。  小石を積み重ね、川の流れを少しずつ堰き止めてられていくように、浪士党の勢いは弱くなっていた。  事件が起きたのはそんな時だった。  浪士党のトップと他政党の二人、そして市民団体の代表が対談することなり、対談場所に一同が揃ったところで襲撃する者が現れたのだ。 死者は3名出た。市民団体の代表と他政党の一人、そしてSPの一人が死亡した。  あわや全滅……それを回避したのがロウ・ディフェンダーだった。即応した彼らは護衛対象の浪士党の安全を確保しただけではなく、他の者達のガードにまで回って被害を極力抑えただけではなく、犯人を取り押さえることまでやってのけた。  ロウ・ディフェンダーが実力を証明した瞬間でもあった。  そこからの躍進は目まぐるしかった。海外からの要人がロウ・ディフェンダーを指定して警護につかせる、という事態が起こると、他党の一部まで起用するケースが発生した。  ロウ・ディフェンダーが人気を博せば、浪士党の支持も上がった。支持が上がった浪士党はメディアの露出が一際増え、ロウ・ディフェンダーの宣伝をする。  片方が一段上がれば、次の一段をもう片方が踏み出す。お互いが半身としての役割を果たし、片方の一歩がもう片方の一歩を引き寄せた。  浪士党の代表が神奈川県の知事にまで成り上がった時には、ロウ・ディフェンダーの立場も確固たるモノになっていた。  この時、神奈川の一角で治安の悪化が問題視されていた。正解には全体的な犯罪率そのものは減少していたのだが、ヤクザ間の派閥争いの表面化と、過激な政治主張団体による犯罪が市民の不安の種になっていて、県知事になった浪士党の最初の課題がそれだった。  彼らはすぐにある決定を下した。治安回復に浪士党はロウ・ディフェンダーを導入するというものだ。  ロウ・ディフェンダーには逮捕権もない。あくまで特定の個人や集団、あるいは施設を警護するだけの存在だ。犯罪を抑制することはできるかもしれないが、犯人を確保出来ない以上、どだい無理がある提案に思えた。  だが浪士党は大胆な手段でそれを実現した。治安悪化が顕在化した一角、積緩町の広範囲にロウ・ディフェンダーの社員を配置するというやり方をとったのだ。  町全体を警護させるという手法だ。これは後に浪士党の目玉政策となる、治安管理都市の初期構想にあたる。  浪士党はロウ・ディフェンダーを町のあらゆる場所に派遣し、数多くのイベントに参加させた。  ロウ・ディフェンダーを警護につけた場合、助成金が出ることまで検討させられた。流石にそれは議会を通らなかったが、浪士党傘下のボランティア団体が寄付を表明し、ロウ・ディフェンダーを格安で警護にあたらせられるように手配していった。    更には浪士党支持を表明している企業——例えば浪士党に所属する元芸能人の関係企業がそうだ——による積極的起用が拍車をかけ、町の至る所への配置は思いのほかスムーズに完了していった。  効果はすぐに現れていった。目に見えてトラブルへの対処速度が上がったのだ。  事件が起きれば即座に介入し、警察が来るまで現場を抑える。避難が必要な事態になれば誘導を開始する。   元々積緩町には配備されている警察官が少なく、治安悪化に対して警察は決め手に欠けていたのだが、足りない一歩をロウ・ディフェンダーが補う形になっていた。警察にとっても手柄に繋がり、バックアップ組織として認められるようになると、ロウ・ディフェンダーの活躍は更に多方に渡るようになる。 そして彼らの武力の高さを示す事案も発生した。銃で武装した犯人を警察に頼らずに、死者を出さずに制圧したのだ。  ロウ・ディフェンダーの実行部隊の切り札である『秘剣』の活躍だった。銃を持てない者達が、銃を持つことなく凶悪犯に対抗する為の対銃部隊。  軍事訓練を受けた後にシールドや吹き矢、投擲武器の扱いを習得し、日本国内でも合法的に活動できる装備を整えた選りすぐりの兵達だった。  名を上げ、実力を示した彼らの影響力の強さを証明するように、政治主張団体とヤクザ者達の過激な行動は鳴りを潜めていった。  安全を実感していくようになるとロウ・ディフェンダーの立場は確実なものになり、立役者である浪士党の支持率も盤石なものになった。  最早ロウ・ディフェンダーの活躍が、浪士党の政策だと認知されるようになり、治安回復の宣言が出た後も積緩町にロウ・ディフェンダーが常駐することになることを止められなかった。  そして始まったのは浪士党の目玉政策である治安管理都市計画だ。それはロウ・ディフェンダーをただの警備会社としてではなく、警察としての機能も果たさせるという前例のない試みだった。  コスト削減を理由に、民間運営による警察の下部組織を設立する計画だ。 途方もない案だったが意外とウケは良かった。民間の企業だけではなく、警察庁までも支持の表明、までないにしても案そのものは否定せず、協力関係を築く用意はあると声明を発表したことで、条件次第では受け入れるという消極的支持を発表した。  思惑は様々にあっただろうが、組んでみた結果旨みが強かったことと、昨今予算と縄張り争いで特に揉めていた警視庁に対する牽制の意味が強かったことは想像に難くなかった。  民間のロウ・ディフェンダーなら警視庁の守備範囲でも活躍できる。それを見越した先行投資だったのだろう。  ともかく、ロウ・ディフェンダーは浪士党の指導の下、治安管理維持都市の管理をすることになった。そのモデル都市となったのが積穏町だ。  そこからの流れはかなり強引だった。  あらゆる企業はロウ・ディフェンダーと契約する義務のようなものが出来た。  業種問わず、多くの企業がロウ・ディフェンダーに警護を頼み、そして敢えての監視対象になることで健全であることを証明する。多くの会社が優等生であることを強調した。  警護会社でありながら業務を通じて生活を警護し、そして防犯目的の名の下に監視すら行い現行犯なら自身で確保する。異常を発見すれば警察に通報するという連携度合いは日々向上していき、逮捕まで対象を一時的に確保することまでするようになった。  過剰な干渉にも見える行いだったが非難は大きくならず、それでも起きた非難は賛同の波にさらわれ、浪士党の激しい言葉の数々に沈められた。  やがて警察の代行機関と認められるようになった時には権威は更に強くなっていき、警察に依頼される形式で被疑者を逮捕するようになっていた。  民間警察と呼称されるようになったのもこの時からだった。  今ではあらゆる職業に関わり、各企業の警備と共に監視体制も整えていて企業犯罪に対する抑止と取り締まりも行っている。おかげで、積穏町は日本有数の清廉な都市とまで呼ばれるようになっていた。  装備も充実していった。今では銃の使用許可まで検討され、その為の人材を確保する動きも出てきている。  日本一の透明性を宿す町になったと浪士党は豪語し、支持率も固定的になっていった。彼らの政策は阻む者はいなくなっていき、国会の中での発言力も強くなっていた。  だが、それでいいのだろうか?  そもそも最低限の安全というものは本来、公的に保証されるものではなかったのか。それがいつから資本として買うことになったのだ。  それに一つの政党と懇意にしている企業が、あらゆる職業に介入し、下手をしたら逮捕出来る。これは実質脅しにもつながる状況と言える。  今の状況は独裁ではないのか?  他にも忘れてはならないこともある。  例えば襲撃犯。彼らは元々浪士党と揉めていたヤクザ者達で、襲撃理由も他の候補者の脅しや政党員の個人的トラブルをしていたと証言している。襲撃理由はその『仕事』の飛び火を恐れた浪士党が関係を切ろうとしたことの脅しだと自白している。  つまり、死んだ3名は浪士党のトラブルに巻き込まれたと言えた。  だがその情報は不気味なほど静かに風化していった。圧力があったとしか思えない程。  更に積穏町で過激行動をとっていた政治主張団体も、元々は浪士党の議員だった男だ。三度にわたる暴力行為をしても党に残し、むしろ彼を庇い続け、遠回しな表現で賞賛すらしていた。だが流石に四度目で扱いきれないと判断したのか遅すぎる離党処分を下したのだった。  彼のような人物を助長させたのは間違いなく浪士党だ。彼の過激行動を非難するのは当然だとしても、自らの過ちを認めるのも筋の筈だ。  そして都合の悪い人間が死んでいった事実。   浪士党との繋がりの濃さを噂されたヤクザ者が血祭りに上げられ、浪士党を非難していた論客が首だけで発見される。全てヤクザの抗争が原因と言われても、納得は出来ない。  ロウ・ディフェンダーが手に負えなかった者が殺されたことも忘れてはならない。組織的な犯罪集団や抗議活動していた者がそうだ。前者は本来なら流石に人手が足りず、警察に任せるべき事案だった筈だが中枢戦力に『トラブル』が起きて死亡して、結果としてロウ・ディフェンダーが対処できる状況に落ち着くという事案が立て続けに起きた。  後者の場合、デモ等を行うだけの犯罪者ではない者達が何者かに殺害される事件が発生したのだ。それもトラブルとして処理され、犯人は逮捕されていない。  町を守っているロウ・ディフェンダーに迷惑をかけた天罰だと、声高に非難する浪士党の人達には眩暈がする。法に従事する者が言うセリフではない。  抗議活動自体は正統な権利だ。確かに過激な行動に出る者もいたが、それで対応できなければ警察を呼び、法で対処すべきなのだ。それに関わらず、浪士党もロウ・ディフェンダーもその当たり前を怠り続けている。  いつから積穏町は法治国家の枠から抜け落ちてしまったのか。  我々有権者は今後も推移を注視しつつ、見極めなくてはならない。浪士党とロウ・ディフェンダーの正体を。 反口 マサネ 著 『浪士党の影』から抜粋 「ふーん」    水汐は下校中の通路で適当に購入した本を読み終え、声を漏らす。憶測が混 じってはいるが指摘には鋭さがあり、説得力があった。  あまり浪士党の情報は見ないようにしていたが、これで情報が整理できた。カスイがスカウトされたのは、銃器関連の許可が下りることが確定的になったことも関係しているのだろう。拳銃ではなくライフルの扱いに長けているカスイにスポットを当てた理由は、SATのような特殊部隊設立を目論んでいるからか。  そして本の中でも指摘されていた都合のいい死が起きた事実。  水汐は思わず顔をしかめた。カスイはあの死に、もっと言えば殺人に肯定的なのだろうか。  「カスイさん……」  あれの後に何が起きたのかをきっと知らないのだろう。  事件にしか興味を持たず、その後の世界は興味のない者には無かったことになる。  だが、見なくてはいけないのだ。聞かなくてはいけないのだ。  世界は途切れない。時間は止まらない。真実はただただ連続していく。  真実は——  「あ、水汐ちゃん」  声の方向に振り向けば、カスイが手を振るっていた。水汐が丁寧にお辞儀している間に、カスイは小走りに近づいてしまう。  「奇遇だね。学校はもう終わったんだ」  「はい。カスイさんも大学はいいんですか?」  「ちょっと顔を見せに来ただけだよ。あと水汐ちゃんの制服姿を激写しにね」  両手の親指と人差し指を伸ばしてカメラを形造り、白いセーラ服を着る水汐を枠内に納めた。水汐が氷の表情で対応すると、カスイは苦笑いを浮かべて質問する。  「今日は旅館の手伝いをする日じゃないよね。部活はどうしたの?」  「顧問の先生が体調不良になりまして、休みになりました。指導員が足りないということで」  水汐の入っている弓道部は本格的な練習で大会を目指す、ということはやっておらず、あくまで軽い指導程度に留めていた。本格的、それこそ大会で活躍するレベルの上達を目指す者には、指導員が道場を紹介するようにしている。  今日のように指導員がいない場合は、弓矢を扱う危険性を考慮して練習をするよりも休みになるのだと水汐は説明した。  なるほどね、と頷いてからカスイは水汐が背中に背負っているバッグを見据える。  弓道用具一式にしては水汐の背丈ほどしかない。一体何なのかと訝しんでいると、視線に気がついた水汐が説明した。  「ああ、これにはライフルが入ってるんですよ」  「水汐ちゃん、民間警察にはあたしも一緒に行くからね」  「本物じゃありませんよ。今度、紅神社を使ってミリタリー関連のコスプレ写真を撮りたいって——ミリタリー巫女というものらしいです——同級生の親戚のお姉さんの友達経由でお願いされまして……」  「縁が薄い!」  「それはまあ、ともかくとしまして、そういうお願いがあったので、先に荷物を持って行って撮影の準備をして欲しいと頼まれた次第です」  「荷物くらい、向こうに持ってこさせればいいのに」  「実は私から申し出たんです。こうしておけば、他の候補に行くことなく間違いなく紅神社に来てくれますから」  つまりは宣伝の一環として捉えているのだ。知名度が上がれば無人神社の解消に繋がるかもしれない。  中々抜け目がないと感心しながらカスイは水汐の手に持つ文庫サイズの本に着眼した。  ああ、と水汐は手を持ち上げる。  「女将さんに話を伺って興味を持ったので、軽く勉強代わりに。中々面白い内容でした」  「そうなんだ?」  あまり本を読まないカスイには水汐の言う面白いがどういったものかいまいちピンとこない。しかも娯楽小説でもなんでもない評論文への評価となれば尚のことだった。  水汐は本を鞄にしまいつつ、感想を言う。  「浪士党に対して、中々厳しい評価を下していましたね。妥当だとは思いますが」  水汐は横目でちらりとカスイを見つつ、慎重に言葉を繋げる。  「最後の方で、連続で起きた不審死についても言及していました。怖いですね。もし本当に浪士党がやっていたら、連続殺人が行われたってことですから」  カスイが少し首を反らし、軽く息を吐いた。  「まあ、ちょっと異常だったよね、あの時は。どこか皆不安がってて、安全ってのを感じられなくなってた。安心できる場所はロウ・ディフェンダーのお膝元だけ。じゃあ、彼らがいないエリアではどうやって身を守ればいいんだろうって、皆不安になってたんだよ」  少し躊躇いを見せた後、カスイは無表情の水汐に告げる。  「そこで起きたのがあの不審死だったんだよ。そりゃ何かおかしいってあたしだって気づいた。母さんも父さんも、学校の先公だって、大人だって多分分かってた。でも、任せちゃったんだよ、この町は。それで放っておいたら、変わってったんだよ。脅威が取り除かれてたって思った。安心ってのが実感出来るようになってったんだ」  「その代償は一体何なのでしょうか?」  正面を見据え、水汐は言った。  カスイは目を瞬かせる。無表情には変わりないが、水汐の顔に暗さが上塗りされたことを、見て取った。  「代償は……何とも言えないけど、ただ意味はあったと思うよ。必要な力で、必要な犠牲だったのかもって、最近思うようになってきた」  その必要な力があれば、水汐の脅威を——  最近そう思うようになってきた。なってしまっていた。  いつの日かの後悔。あの時覚えた喪失への恐怖と怒り。悲劇を繰り返さない為の一つの答えが、あの不審死にある気がしていた。  そんなカスイに水汐は冷徹とも取れる口調で言葉を綴った。 「なら、私の両親も必要だから殺されたってことですか?」  え?  目を見開くカスイに、水汐は相変わらず無表情で淡々と続ける。  「私の両親は殺されたんです……不審死に感化された人達に。私の目の前で殺されました」  その代償は一体何なのでしょうか……  内にあった興奮は一気に落ちていく。残ったのは迂闊なことを言ったことへの後悔だけだった。  代償はあった。取り返しのつかない代償が。  カスイは足を止めた。視線を落とす。  「ごめん」  無数に沸いた言い訳は声になる前に萎んでしまい、言葉の形が失われ、結局 音になったのは純粋な謝意だった。  水汐は静かに首を横に振る。  「謝って欲しい訳でも、責めてる訳でもないです。ただ、カスイさんにも知って欲しかったんです。あの時、私は誰にも頼れなかった。不審死に対して、大人達が支持を表明したからです。その不審死から派生した両親の死も正しさが行われたからだって意見もありました」  水汐の無表情が崩れた。瞳を横に逸らし、唇を軽く噛んでいる。カスイには彼女の表情がどういった感情から来るのか分からなかった。  悲しみなのか、怒りなのか。  「あの時」水汐は儚げに言葉を吐き出す。「あの時、こう思ったんです。両親が殺されたのが正しいことなら、両親に育てられていた私も殺されるんじゃないかって」  「そんなことないよ」  カスイは悲鳴にも近い声で思わず言った。  「考えすぎだよ、水汐ちゃん」  「そんなこと分からないじゃないですか。法律を無視して行動するってことは、何の保証も出来ないってことです」  「でも……何もなかったんでしょ?」  カスイは念を押して訊く。だって水汐はここにいるではないか。生きているではないか。  水汐は目を伏せ、右手で左の二の腕を掴んだ。  「そうですね、私には何も起きませんでした」  「そうだよ、だからもう大丈——」  「でもさっき読んでいた本の著者、彼女は殺されました」  息を呑む。そのままの意味なのに、咄嗟にその意味を理解できなかった。  何だって? 「殺したのは浪士党の支持者で、不審死の信奉者だった人達です。私の両親を殺した人達と同じように」  水汐は言葉を一度切り、  「皆いい大人でした。批判的な本を出したことで前から脅していたようで、でもロウ・ディフェンダーは動いてくれなかった……あの不審死は、ああいった過激な行動は、そういった暴力を使いたがっている人を煽る結果になったんです」  水汐はカスイを見つめる。感情が織り交ぜられた瞳を向けた。  「浪士党の中には不審死に対して天罰と言っている人もいるそうです。彼らも暴力を煽っている。反論に反論で対抗しないで、恐怖で支配しようとしている、それが彼らの本質ですよ」   水汐はもう一度視線を落としてから、カスイの目を見つめ返した。まるでカスイの反応を窺い知ろうとするかのように、どこか不安そうにしていた。  「すみません、出過ぎたことを言いました。迷惑ですよね、いきなりこんなこと言われても」  見上げる表情には怯えすら垣間見える。まるで親から叱られるのを恐れる幼子のようだった。  カスイは、はっとする。すぐに今自分がするべきことを悟った。  発言は取り消せないし、水汐の抱いている問題の解決の仕方など分かりようがない。かけるべき言葉も態度も、カスイは知らなかった。  でも水汐の不安を紛らわすことくらいは出来る。解決は出来なくとも、忘れさせることは出来なくとも、ほんの少しの間だけでも気持ちを浮上させるくらいなら出来る筈だ。荒波の中のほんの一呼吸に過ぎないかもしれないが、それが人を生き永らえさせてくれるのだ。  出来ることは嵐が収まるまで支えることだけだ。  そして何より、水汐に怒ってなどいないことを教えなくてはならない。  「水汐ちゃん、まだ考えがまとまらないけど、あのね」  水汐が顔を上げる。カスイはただ必死にまくし立てようとし、しかし口の中で言葉が空回った。  それでも、何とか発信する。  「ちゃんと考えてみるよ。水汐ちゃんが言ったことの意味」  言い終えてからカスイは頬を掻き、少し気恥ずかしそうに目線を泳がせた。  「あの、ありがとうね、水汐ちゃん。自分のことや考えを教えてくれて。凄い勇気のいることだったでしょ? だから、あたしも真剣に向き合うからね」  どこかほっとしたと水汐が息を吐くのを確認すると、カスイも少し安堵する。  だが両親に起きた悲劇を思い起こし、胸の中に重いモノが落ちていく。  歩みを再開しながら何も知らないんだな、と思った。水汐のことも、自分のいる小さな世界のことも。  自分の責任の所在も。  家に誘おうかとも考えたが、水汐は一人になりたいかもと考えやめておいた。代わりに今度一緒に出かける約束を取り付けておく。  水汐が少し笑って承諾したところで、分かれ道に到達した。水汐にまたね、絶対一緒に出かけようと何度も告げてカスイは旅館の方向へと進もうとした。 だが、カスイはピタリと足を止めた。通行止めの立て看板が見えたからだ。下水管の緊急工事だとか。  なんだなんだ、と唇を尖らせて道を変えて水汐と合流する。水汐は工事している者達をやや不審げに眺めてから、カスイと歩幅を合わせた。  暫く歩きもう一度またね、と言ってみればまたもや通行止めの看板が立ち塞がる。先ほどとは違う理由と説明が書かれた看板にカスイと水汐は顔を合わせた。  不気味になり、足早になって違う道へと急いでも同じ結果になった。  どうなってるんだ。  家がこちらにあるので通して欲しいと言ってみても、申し訳ないが少し待っていて下さいと丁寧な態度で突っぱねられてしまう。文句を言ってやろうとしたが、ロウ・ディフェンダー公認の業務を示すステッカー——通称、手形と言われているマークが看板に貼られているのを見て、口を噤んだ。  下手に口出しして彼らの仕事を邪魔したと思われたら最悪、ロウ・ディフェンダーがやって来てしまい、反論の余地もなく業務妨害とみなされ、拘束・起訴まで待ったなしだったりするのだ。  ロウ・ディフェンダー関連の仕事は、既に公務執行妨害に近いレベルの保護がついていた。  カスイは少し悩んでから、水汐に帰るように言って小走りにその場を後にする。  言いようのない不安が、胸中に去来していた。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加