2.フェイ 

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 「何でこっちなんだよ、普通あの旅館の娘の方だろうがよ」  男たちの声が木霊する。水汐は頭上から垂れている縄に両手を縛られた状態で、為す術なく男たちの粗野な会話を聞かされていた。  夏原旅館から連れ出され、車のトランクに入れられた水汐は暫くの間彼らのドライブに付き合うことになった。  旅館の周りを通行止めしていた者達が彼らの行く手を阻んでくれる可能性もあると思っていたが、車はスムーズに進行を続け、目的地にあっさり辿り着く。  トランクを開けた途端に、男の1人が喚いた。こっちじゃないと。  仕方ないといった様子で彼らは水汐を連行した。抵抗しようとしたが、ナイフを突きつけられ渋々従った。  男達は皆既に目出し帽を外していた。薄暗い中でも彼らがここ最近夏原旅館にちょっかいをかけていたヤクザ達だとわかる。人数は4人。  彼女は牛舎の中に連れ込まれた。牛舎といっても牛も他の家畜もおらず、おそらくは廃業した農家から譲り受けたか、あるいは勝手に使用している場所なのだろう。  まだ濃い牧草の香りが水汐の鼻をつく。男達は明かりをつけてから水汐の拘束を始めた。  最初は後ろ手に拘束しようとしたが、格闘技を使ったことを警戒し、手が見える位置にあった方がいいと判断した彼らは梁にロープを通し、水汐の両手を上に引っ張ってから拘束した。そのせいで彼女は今、水面に飛び込むかのように腕を伸ばしていた。向けている方向は下方ではなく真上ではあったが。  足は着くが踵が土に触れるか触れないかといった具合になる。今のところ手首に痛みはないが、時間が経てば負荷に耐えられなくなるだろう。  拘束をし終えた男達は一先ず一服とタバコを吸い始める。水汐は嫌いな紫煙の臭いに眉を寄せてから、慎重に口を開いた。  「わ、私をどうするつもりですか」  やや声が上ずる。頭の左右にしか髪の毛のない男が煙を吐いてから答えた。  「さて、どうするかね。まあ、あの旅館の連中が権利書を渡してくれたら、家には帰れるな」  「権利書? 何を言ってるんですか? 私を人質にして奪っても、そんなの無効になるだけですよ」  水汐の指摘に男はにやける。  「それがうまくいくようになってんのさ。俺達はあの旅館も手に入れるし、お前さんの誘拐で捕まることもない。ま、お前さんはここでのことを忘れる運命なわけだが」  表情を固くする水汐にどこか満足そうにほくそ笑むと、白髪の坊主頭の男がいや、と首を左右に振った。  「嬢ちゃんのことに関しては少し懸念がある。俺達が買った誘拐の免罪符はあの一家が対象だった。筋違いのガキとなると、どうなる処理してくるのは少し分からん。追加料金を払えば隠蔽してくれるだろうけどよ」  坊主頭が一回り若い男を睨んだ。おそらく三十路の男がすいません、と頭を下げる。どうやら彼が水汐を運び出したらしい。  「ん、待てよ」  今まで黙っていた小柄——それでも水汐よりは上背はある——な男が水汐を無遠慮に眺め、目を細める。  「こいつ、あれじゃないか? ヤマがご執心のガキだろ」  ヤマ——たしか、夏原旅館の従業員を半殺しにした空手家崩れの通称だった。山田でヤマと呼ばれていたことを、水汐は思い出す。  男達の野蛮な目が、一斉に水汐に向けられる。足先から手先までをじろじろと見られ、水汐は悪寒を覚える。  知っている感覚だった。既知のおぞましさだった。  品定めし、支配しようとする男の態度だ。  「じゃ、ただ帰すわけにはいかねェだろ」  そこまで言ったところでタイミングがいいのか悪いのか、外に車の止まる音が聞こえる。乱雑な足音と共に追加のヤクザ達が牛舎の中に入ってきた。高齢化の進んでいるヤクザらしく、40代以上の強面が揃っている。その群れの中にはどちらかと言えば年若いヤマもいて、水汐を見るや険しい顔をした。  取り違えたことへの文句が再び出たが、相手が自分達に弓を引いた相手だと知ると、話の路線は切り替えられて行き先が合流する。  元々誘拐をした人間を痛めつけ、その写真を送り付ける算段だったらしい。それで要求が通れば構わなかったらしいが、水汐が相手となると別だった。 水汐は弓を引いた。  矢を射った。  彼らにとっては捨ておく訳にはいかない存在であり、つまり痛めつけるレベルが変わって来る対象だった。  男だったら、指を落として旅館に送っただろう。 だが水汐に対してはやり方が違う。ヤクザ達は動画と写真の両方の撮影準備をする。これから行う事の過程と結果を残す為に。
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