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見えなくなる二人。
水汐は痛みと悪寒に耐えながら口を開いた。
「免罪符とはなんですか?」
男が怪訝そうに目を細め、水汐はもう一度訊く。
「さっきから免罪符と言っていますが、それは何のことですか?」
「そんなこと気にしてる場合じゃないだろ、お嬢ちゃん。それに、そこら辺も多分忘れちまうけどな。よく分からん薬のおかげなんだが——」
「忘却薬のことは知っています。原理も説明できます。そのことはどうでもいいんです」
男の動きが止まる。目を見開き、混乱を表に出して水汐をまじまじ眺めた。彼が一歩身体を引くと、離れる手に撫でられ、水汐のセーラー服が波打った。
水汐は息を整え冷静に続ける。
「答えられないなら、質問を変えましょう。消毒部隊、彼らが貴方達に協力している理由はなんですか?」
「しょうど……なんだって?」
なるほど、消毒部隊の名称は知らないということは、やはりそこまで深くロウ・ディフェンダーに関わってはいない。
なら、もう用済みだった。
免罪符の正体を見極めたかったが、ここまで来たら仕方ない。
「最後の質問です。私が何故、先程貴方を蹴ろうとしたか分かりますか? 止められると分かっていたのに」
男の視線が下に行き、水汐は少し笑った。
答えは簡単で、手の方に注目してほしくなかったから。
縄を切り落とし、上体を前に倒して勢いをつけて右手を一気に叩き込む。
短刀が男の左肩に激突した。峰の方が直撃したので肉の潰れる感触と鎖骨の折れる手応えがもろに伝わって来る。
男の悲鳴が木霊する。返す刃で振り上がる短刀の峰が顎を跳ね上げると、白目を剥いて彼は乾いた牧草に背中から倒れた。
ヤクザ達が慄く。蛍光灯に白く染まった短刀が非現実的な物に見える。
水汐は左手で左右に広がろうとする服を胸の高さで掴んで、呼吸を浅く繰り返す。
あの伊達男が参戦する前に、数を減らそうと集中していった。
彼女の背後にいた坊主頭がナイフを握り、腰の位置で固定して突進しようと気炎を発したのはその時。
水汐が身を翻し、左足を坊主頭に滑らせる。何かを担ぐように上体を前に動かし、肩を回し、右腕を振り下ろす。
影が奔り、影が伸びた。
男の肩に強烈な硬さが降り注ぐ。くぐもった声を吐き出す彼の目に、水汐が握る刃渡り六十cmの分厚い刀が映った。
全身が黒ずんでいるそれは刀身も鍔も、柄までも同じ色で統一されていた。というより、同じ材質で出来ているように見える。
「は?」
間抜けな声を出す彼のこめかみに手首の回転で振るった刀の一打がめり込んだ。気を失う彼に背を向け、水汐は周りにいるヤクザに向き直る。
「ポン刀だ? どこに持ってやがった」
「どこって……あんな恰好だぞ、隠して持てる筈が……」
戸惑うヤクザに水汐は駆けた。緑髪が跳ね、服の裾が後ろに引っ張られて広がった。すらりとした足は一気に回転して水汐を前へ前へと送り続ける。
加速する彼女は瞬間的に間合いを詰めて、再び上段の一打を披露する。
刃は潰して『精製』したので切れることはないが、代わりに硬質な一撃が肉を潰した。
もう一人が地面に叩き落されたところで、雄叫びを上げて二人の男が突っ込んできた。
遅くて隙だらけで、水汐としては退屈極まりない攻撃だった。
刀が霧散する。霧が集まり、形を変える。
水汐は左手方向に跳びこんだ。左手が使えない——というか使いたくない——ので、右手のスペースを確保する為だ。
追いかける男が七首を落としてくる。水汐は上体を左に振るって避けながら、同時に右手を動かした。
振るわれる右手には鎌が逆手で握られている。
敵の内肘に刃を叩き込む。
峰を相手の上腕に、柄の部分を前腕にめり込むように捻り上げると、たちまち腕が固定され、男がタップして前屈みになった。水汐は男の動きをコント
ロールしてもう一人の進行経路の障害物にしたとこで、右膝にプロテクターを『精製』した。
右膝蹴りが男の鼻を潰し、前歯をおしゃかにする。歯茎から盛大に血を流し、男が突っ伏したところでもう一人に跳びかかった。
手の中で鎌が回転して順手に持ち替えられる。
男が「ひっ」と気後れした時点で勝負は決していた。別にサディストではないので、気は乗らなかったがきっちりと連撃を叩きこんでおき、立ち上がれないようにはしておく。
あと一人——
完全にビビっている男に水汐が走ろうとした時だった。耳の奥が人の気配を捉え、足元を薄く染める人影が不意打ちの気配を水汐に教えた。
その場から一気に跳んだ水汐の脇腹をステッキの石突きが掠める。
伊達男の放った一打だった。水汐は距離を取り、思わず舌打ちする。
やはり強い。
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