1.巫女弓道和装学生

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1.巫女弓道和装学生

 「属性が多い」  と、言われたので赤青 水汐(セキショウ ミシオ)は目を細めた。  「そんなこと言われましても……」  理不尽な指摘だとやんわり伝えるが、話し相手の夏原カスイはいやいやと首を横に振る。  「だってさ、水汐ちゃんって神社に住んでるんだよね?」  「ええ、そうですね」  「で、ほとんど経営してないわけじゃん?」  「無人神社ですからね」  「水汐ちゃんいるけどね。それはともかく、でも普段神社にいる時は一応巫女の格好してるじゃん」  「人がいる以上、万が一の参拝客様に備えるように、宮司様から仰せつかっていますから」  「偉いね、水汐ちゃん。でさ、うちの旅館も結構手伝ってくれてるよね」  水汐の住んでいる紅神社は、温泉を奉っている。その温泉を取り扱っている小さな旅館が、カスイの両親が経営し、水汐が手伝いをしている夏原旅館だ。  「夏原さん達には私が神社に住まわせてもらうようになってから、大変お世話になっていますから、せめてもの恩返しをと思いまして」  「天使じゃん。それはともかく、うちを手伝ってくれる時は、今みたいに和装ヴァージョンになるよね」  「夏原旅館の方針ですからね」  「髪型も変えるよね」  「和服に合う髪型にするように、指導されましたから」  つややかな黒髪を長く伸ばしている水汐は巫女装束を着る時は髪を奉書紙で包み、ローポニーテールにしていた。一方で旅館の手伝いをする時は長い黒髪を夜会巻きで纏めるようにしている。  カスイの母親の女将から料理を習っているので、髪を伸ばしているのは衛生上宜しくないという理由もそこにはあった。  「似合い過ぎてビーナスじゃん。いや違うそこじゃない。それで水汐ちゃんさ、普段は髪ハイポニーにして、中学行ってて、部活は?」  「弓道部です」  「多いわ!」  机を叩き、声を張り上げる。  「キャラが多い。もうよりどりみどりですわ、ありがとうございます!」 熱狂するカスイとは対照的に、水汐は絶対零度を身に纏う。  「カスイさん、まだ大学生ですよね? 生き急ぎすぎじゃないですか?」  「人生なんて短いんだから急ぐにこしたことはないね」  カスイが言い終わると、厨房の扉のロックが解除される電子音が聞こえた。指紋や網膜で開く簡易式の防犯システムだ。義務ではないが、今ではどこの職場でも施行されている代物だった。  「何だい、また水汐ちゃんにちょっかいだしてるのかい、この子は」 苦笑を浮かべながら、カスイの母であり、旅館の女将でもある女性が扉をスライドさせて入って来る。  水汐が恭しく頭を下げるので女将はやめてくれよ、と手を振って笑った。  「水汐ちゃん、そんなにかしこまんなくてもいいんだよ?」  「いえ、そんな訳にはいきません。女将さんにはお世話になりっ放しですから」  3年ほど前に水汐は夏原旅館の近くにある紅神社に住むようになった。詳しい事情はカスイも知らないが、神社の神職が彼女を引き取ったらしい。  紅神社は温泉を奉る神社だ。その奉っている温泉を取り扱っているのが夏原旅館ということもあり、夏原一家と神職は付き合いが長く、水汐と夏原家が交流を持つようになったのも、自然な流れだった。  紅神社が、行事をあまりやらなくなったのは八か月ほど前だ。 元々宮司は助勤として他の神社にも通っていたのだが、助勤先の神社の宮司が死去したことで、そこの神社の宮司に彼が任命されたのだ。  断り切れず、宮司は助勤先の神社に常駐することになった。紅神社までは手が回らない、ということになりいわゆる無人神社になることが決定した。  無人神社とは常駐の神職がいない神社のことを指す言葉で、全国に八万以上ある神社の内、六万近くがそれに該当する。  無人神社になった場合、近場の神社の神職が管理することになる。定期的に清掃するなどして状態を保持されるが、イベント等は行われなくなる。  夏原旅館としても、ご利益がある温泉として宣伝していただけに痛手ではあったが、宮司が本当に申し訳なさそうにしていたので、仕方ないと諦めることにした。  しかし、水汐は違った。住み込んでいた彼女も宮司と共に紅神社から離れると、カスイは思っていた。  だが彼女は残ると言い張った。宮司も説得はしたらしいが、水汐はこの土地を離れる気はないと頑なに主張したのだ。  ある意味で王者が君臨しているこの地に。  最終的に宮司は折れ、夏原達に出来れば気にかけてくれと頼んで、違う神社に移って行った。今でも彼は水汐の様子と神社の状態をチェックしに定期的に戻るようにしていた。  常駐が居なくなり神社としての活動はしなくなったものの、水汐が残ったので清掃等は彼女が行って清潔に保たれている。それどころか彼女は宮司がいた時と同じように巫女としての佇まいを披露し、間違えて訪れた参拝客に対応して、時に旅館に案内することもあった。  水汐のおかげで、夏原旅館の損失は最小限に抑えられたのだ。だから、世話になりっ放しと水汐は言っていたが、そんなことはない。  しかし、子ども一人では何かと不便だろうという思いと、宮司の頼みを真摯に受けた夏原家の気遣いに負い目を感じたのか水汐は旅館の手伝いを申し込んできた。  最初は断ったが、あまりにも水汐にしつこく頼まれ、更に経営の勉強もしたいのだと言われたので、根負けして手伝ってもらうことにしたのだった。 図らずも、宮司が水汐を説得出来なかった理由がわかった結果だ。  手伝いを頼み込んできた水汐はよく働いた。料理の腕もそうだが、金銭のやり繰りの仕方まで貪欲に覚えているらしい。流石にまだ中学生と言うこともあり、接客等はやらせはしていないが、教えたことへの上達速度は非常に速く、時々将来が恐ろしく思う時がある。  「本当に大したもんだよ、水汐ちゃんは。今じゃウチの旅館のお金の流れを把握してるの、私と夫を抜かしたら水汐ちゃんだけだもんね。私らに何かあったら次の女将は水汐ちゃんに決定だね」  「学生に何やらせてんの?」  若干引き気味にカスイが言うと、女将はふふんと鼻を鳴らす。 「今更跡取りになるってったって、もう遅いからね」  「ならねーし。やりたいことがあるから、ここに留まってる暇なんてないっての」  口調はふざけていたが、目は真剣だった。スナイパーのように射貫く視線は、彼女がライフル射撃の競技で、優秀な成績を収めた者だからか。  カスイは大学に進むと共に実家の旅館を出て、今は寮生活をしている。高校時代のライフル部活動の成績を認められ、ライフル射撃の強化選手に選ばれた  彼女は進学と共に本格的に取り組むようになっていた。  ライフルを扱うようになったのは、父親の影響が強いと自己分析していた。といっても父親の方はライフル射撃を一切やっておらず、若かりし頃猟師として活躍していただけだ。的を射抜くためのライフルは使ったことはなく、獣を狩るための猟銃を扱っていた。  しかし彼からマタギの話を聞き、銃関連に興味を持ったことは間違いない。 彼は今カスイの母であり自分の妻である女将と一緒に旅館の切り盛りで忙しい日々を過ごし、猟師は半分引退している状態だが、地元の猟友会に頼まれれば 今でも猟銃を握ることもあった。  「あの……カスイさん」  水汐が胸元で手を重ね、どこか不安そうに尋ねてきた。今回の帰省目的の一つは水汐の様子を見ること——もう一つは旅館が潰れてないか確認すること——だったので、ネガティブな顔をされると思わず身構えてしまう。  「『ロウ・ディフェンダー』からスカウトが来てるって本当ですか?」  おや、どこから聞いたのか。  「ああ、来た来た。将来どうかってね」  「それで、その……」  水汐は伏し目がちに言葉を濁らせる。  そういった態度も可愛いね、と思ったが口には出さずに出来る限り明るく答える。  「人を撃つってのはあたしの性分じゃないって断ったよ」  選手として実績を残し、将来も何らかの形で関わっていきたいとカスイは考えていた。スカウト内容はカスイの将来設計にはない。  明らかにほっとした様子で、水汐は「そうですか」とだけ答えた。水汐の今の態度を見ることが出来ただけでも、拒否してよかったとカスイは思う。 だが、同時に去来するのは三か月前の出来事だ。  「ねえ、水汐ちゃん。最近は大丈夫? 困ったことはない?」 カスイの質問に水汐は笑顔で何も問題ないと答える。 しかしその答えを信用できるかは別だった。  三か月前、彼女はストーカー被害を受けていた。神社に一人で住んでいるという環境も、狙いやすい要因だと考えられたのかもしれない。  彼女は相談しなかったのだが、同級生が親代わりの夏原達にその旨を伝えてきて発覚したのだった。  隠し撮りされた通学途中の水汐の写真や無言電話が自宅にかかってきているのだと説明を受けた。たまたま同級生が水汐の自宅の神社に訪れた時に、確認したらしい。  水汐は誰にも言わないように口止めをしていたのだが、同級生は心配になって夏原旅館に相談した。  カスイの両親はすぐに水汐に旅館に寝泊まりするように言い、『民間警察』に事件の報告をした。だが根拠薄弱を理由に動くことはなく、暫くしてから事件は起きた。  水汐が行方不明になったのだ。下校したところまでは確認できたが、家には帰ってこなかった。  事態が悪化したことでようやく『民間警察』も動き、夏原家も旅館や大学を休んで捜索を手伝ったが手がかりは掴めず、一週間彼女は発見されなかった。 一週間後に彼女は、近場の交番で発見された。下校時と同じ格好で、外傷はなかったが疲れた様子をしていた。  見知らぬ男に連れ回されたのだと水汐は説明した。それだけで、他には何もなかったと水汐は何でもないように言ってのける。  水汐はそれ以上ほとんど証言しなかった。犯人の特徴も曖昧にしか言わず、どこに連れされたのかも特定できず、未だに容疑者は確保されていない。  一週間の間、本当は一体何があったのか——カスイは想像するだけでおぞましくなる。水汐は変わった様子を見せなかったが、もし連れ回されたこと以上の事があったのだとしたら——そんな想像を時折してしまい、想像してしまう自分を嫌悪し、水汐を傷つけた犯人に怒りを募った。  また、始めから動いてくれなかった『民間警察』にも。  『ロウ・ディフェンダー』のスカウトを受ければ、立場的に水汐を守れるようになるのではないか。  的以外を撃つ気はなかった。だが、どんなに鋭い名刀も鞘の中では物を切れない。スカウトを受けることは、鞘から白刃を解き放つことにも似ているのではないか。  最近の旅館の状況もカスイは気になっていた。  この一か月の間、明らかなヤクザ者がイチャモンをつけてきているのだ。たまたま帰省した時、派手なスーツを着たガタイのいい強面が旅館に押し寄せて大声で何事かを喚いているのを目撃したので、両親を問い詰めた所、脅しを受けているのだと疲れた顔で説明してくれた。  みかじめ料を払えと言われているらしく、カスイは驚愕した。  20世紀ならまだしも今時なら警察に相談すれば解決する問題だ。あれよあれよと起訴まで持っていける案件だと、素人のカスイでもわかることだ。 だが、警察は動いていてくれたがそこで終わりだった。 何度事情を説明しても逮捕まで持っていくことが出来ず、ヤクザ達はのさぼって今でも狂犬のように吠えにやって来ていた。  『民間警察』にコネでももっているのかと疑念を抱いたが、『ロウ・ディフェンダー』がたかだかヤクザと関係を持つメリットが思いつかない。 意味が分からない事態だった。  だが、現実として警察が申し訳程度しか動いてくれない以上、何か別の手を考えなくてはいかない。  どうにか対策を講じようとしている中で、事態は更に悪化した。  従業員の一人がヤクザに殴られる事案が発生したのだ。  殴られた従業員は以前からヤクザ相手にも物怖じしない性格で、怒鳴ってきたら怒鳴り返すような気性の持ち主だったのだが、それが災いした。  いつものように店前で大声を放つヤクザ者に、従業員の男は食ってかかった。怒声と怒声が飛び交い、己の怒りと相手の怒りが積み重なり合い、理性の閾値を超えた途端にヤクザ者の拳が従業員の男の顔面を捉えていた。  怒りに任せるまま、ヤクザの拳は続いていった。空手をやっていたらしいそのヤクザの硬質な一打は男の身体に幾度も沈み、鼻骨は折られ、顔中が血だらけになった。本来ならすぐに割って入るカスイの両親がいなかったことも、事態の悪化に繋がっていた。  男が気絶しても、ヤクザの暴力は止まろうとしなかった。全身に漲る興奮が火となり、ヤクザ者の感情を回転させて、行動の全てを攻撃へと走らせようとしていた。  事態が最悪の状況にならなかったのは、水汐のおかげだ。 倒れている男にヤクザが下段回し蹴りを叩き込もうとした刹那、一筋の矢が足元を奔った。  水汐が咄嗟に射った光明だった。  当日、弓道部の活動関係で弓矢を持ち運んでいた彼女は、道具を持ったまま旅館に手伝いに行き、事件を目撃することになった。暴行を受ける従業員の男を視認し、最初は助けを求めようとしたが、そんな暇はないとすぐに考えを修正し、手早く弓に弦を張り、脅す為に矢を放った。  水汐にとって幸運だったことは、ヤクザが一人しかいなかったことだ。二人以上いたら対処出来なかっただろう。  もう一つの幸運はヤクザ者が冷静になった点だ。水汐の矢は例えるなら巨大な火に手で掬った水をかける程度の効果しかなかったが、神の気まぐれで直後に雨が降り注ぐように、水を差されたヤクザ者は落ち着いていった。  救急車が呼ばれ、警察が召喚される。  骨折はあったものの命に別状はなく、障害も残らないというのはせめてもの救いだった。そして今度こそ警察が動く事案になったと皆が考えた。  言葉や態度だけではない。目に見える形となって悪意が振るわれたのだ。今までは見えない刃物で、無色の返り血を浴びていたからバレなかったが、今回の血は赤色だ。逃れようがない。  これで決着だ。  だが、結局誰かが逮捕されることはなかった。信じられないことに、実際に暴行に走った空手家崩れすら、起訴に至らなかった。  証拠不十分が理由だと警察は説明した。防犯カメラの映像は消え、ヤクザ者が浴びた血や付着した皮膚も、本人が転んで怪我した際のモノだと言う。  従業員の男を暴行した犯人は、目下捜索中だと言われた。  馬鹿げている。カスイの両親はそう吐き捨て、従業員の男にもう一度証言するように頼んだ。  誰に殴られたのか?  その問いに対する男の答えは、分からないだった。  最初は冗談だと思った。次は脅され、口を噤んでいると思った。  だが、問答の末にわかったことは、彼が本気で犯人を覚えていないということだった。殴られたことは記憶しているが、誰にやられたのかはどうしても思い出せないと、言った本人が信じられないという面持ちをしていた。  ここまで来るとオカルトだ。カスイが頻繁に帰省するようになったのもこの後からだった。  両親や旅館が心配という理由もあるが、水汐のことを気にかけたからでもある。  どうやら、ヤクザに目にかけられるようになったらしい。  結局取り上げられなかったが、水汐は犯人のことをしっかり覚えていたので、必死になって状況を説明した。そのことや、矢を向けたことが気に入らなかったのか、あるいは気に入ったのか神社の方にもヤクザが顔を見せるようになったとのこと。  水汐の身体について質問することもあるらしい。  連れ去られた一週間——あれを繰り返す訳にはいかない。  その為に必要なことを見極めなくてはならないわけだが、そこで足踏みしていることを、カスイは自覚していた。  「あの時みたいなことが起きればいいのに」  カスイは一人呟いた。  その意味を理解した水汐が顔を曇らせたことに、彼女は気が付かなかった。
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