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俺には無縁な高級ホテルは物々しい。場所は10階だ。エレベータを出るとすぐに広いフロアが広がり、入り口にはクロークがあった。素知らぬ振りをして潜り抜けようとしたが、係員に「どちらのご関係者さまですか」と尋ねられてしまった。俺が困惑していると、やよいは涼し気に「弥栄です」と答えた。
「こちらは私のフィアンセよ」
しかたない。その手で行くしかなさそうだ。バレたらバレたでそのときはそのときだ。
俺の安っぽいコートと鞄にちらりと目を落として、係員はそれを奥に運んだ。やよいは手慣れたもので、白いコートだけを預けてハンドバッグは手に持っている。
「入れた」
「君の母親の力は大きいね」
「そうね」
連れ立ってホールに入った。席は指定されているのだろうか。さりげなく後ろの空いていそうなスペースを探していると、視線を感じた。俺の二人の兄貴たちが険しい目つきで俺を見ている。そしてこちらに来た。
「敦史、お前、どういうつもりだ。なんだって今頃現れた。しかもこんな大事なときに」
下の兄貴が言った。俺は沈黙する。やがて上の兄貴が口を開いた。
「ちょうどいい。こいつも何かかぎつけてきたに違いない。ここらではっきり言ってやろう」
俺は二人の兄貴に小突かれて外に出た。隅に行くと、上の兄貴が声をひそめた。
「親父は遺言書をもう書いてるよ。お前の取り分なんぞない。だからとっとと失せな」
思いがけない言葉だった。
「遺言書? あいつはもう長くないのか」
「知っててここに来たんだろう。でも無駄足だ。今は俺らがホテルを取り仕切っている。お前の出る幕はないよ。そもそも大学にも行ってないくせに」
「まって。遺言書があっても、遺留分はあるはずじゃない」
「何だ、この女は」
言いかけて兄貴たちはやよいの高級な装いに気づいて口をつぐむ。俺はもううんざりだった。
「何がいいたいのか知らんが、俺はもう家も出てるし、親父がくたばりかかってるなんてことも初めて知ったくらいだ。出てってやるよ」
吐き捨ててその場を去ろうとすると、後ろからやよいが抱きついてきた。
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