不器用な恋人たち~見えないもの、見えているもの~

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「そうではなくて、そもそも楓花さんが一人でやることじゃないと思うんです」  彼女の剣幕に圧倒されかけたが、きっとここが正念場だ。鼻息の荒い彼女をおそるおそる椅子に促す。 「二人とも働いてるわけだし、分担すべきじゃないですか? 楓花さん、朝から働きづめじゃないですか。話をする暇もないし、俺だけ何もせず座っているのは申し訳ないですし」  おかげで同居しているというのに、彼女のことを未だ何も知らない。一緒に食事をするどころか、髪の毛一本すら触っていない。見るのは後ろ姿か横顔ばかりで、こうやって正面を見て話をするのさえ久しぶりな気がする。 「それは……、結真さんは気にしなくていいんです」  けれど、彼女の返事はそっけなかった。自分の気持ちを正直に伝えたつもりだが、分厚い透明な壁に阻まれてはじき返されてしまうみたいだ。 (……こんなに人って、わかり合えないものだったっけ……?)  諦めてしまいそうになったが、ぐっとこらえる。  もう自分たちは家族なのだ。ここで理解し合うことを断念してしまったら、これから先一緒にやっていくことなんてできないだろう。 「気にしないなんて無理ですよ。ちょっとは休んでくれないと気を遣うし、心配します。だいぶ疲れも溜まっているように見えますし」 「わ、私は大丈夫です」 「大丈夫に見えないから言ってるんです。俺だって一人暮らししてたので、一通りの家事はできますよ。……まあ、楓花さんみたいに完璧にはできないと思いますけど」 「そ、そんな風には思ってません」 「だったら、何かさせて下さい」 「……」  楓花さんは困った顔でうつむいた。どう答えればいいか迷っているように見える。  だとすれば、もう一押しすれば折れてくれるかもしれない。俺は身を乗り出して、ここぞとばかりにたたみかけた。 「まず、夕食は早く帰宅した方が作りましょう。次の日の朝食は、夕食を作らなかった方が作るとか。もちろん、状況次第でお互い無理をしないように相談して。あ、楓花さんが土日出勤のときは、家事は俺が引き受けますよ」 「…………。でも、それじゃ、結真さんが大変では……?」 「そんなことないですよ」  しばらくの沈黙の後、楓花さんが顔色を窺うような視線を寄こしたので、微笑んでみせた。  どうやらうまくいったようだ。諦めなくて良かったと、内心で胸をなでおろす。  ――それが、油断を生んだのかもしれない。 「正直、やらせてもらえる方が気が楽です。部長の仕事って大変だろうし、それなのに俺が何もしないんじゃ、結婚しても楓花さん側のメリットが何もないじゃないですか。それにこのままだと、俺、楓花さんがいないと駄目な人間になりそう、で……?」 (……ん? 今、俺、なんて言った?)  何か誤解を生みそうな表現をしてしまった気がして、今のセリフを思い返す。  このまま甘やかされていたら堕落して、一人では何もできない駄目人間になりそうだ、と言いたかったのだが……。  ――なんだか、ノロケみたいな言い方をしていなかったか?  楓花さんの顔を盗み見ると、目がらんらんと輝いている。  背筋に冷たいものが走った。 「い、いや、違うんです! 今、何か語弊があったかもしれないんですが――」 「やっぱり、私、頑張ります!」 「や、だから、これ以上頑張らないで下さいって話をしてるんです!」  悲鳴のような叫びも彼女の耳には入らなかったらしい。頬を上気させて立ち上がり、「結真さんのシャツに二度目のアイロンをかけてきます!」と謎の言葉を叫んで走って行ってしまった。 (――っ! うまく行っていたと思ったのに!)  最後の最後で失敗した。  一人残された俺は、盛大なため息をつきながら顔を覆ってテーブルに突っ伏す。  こうして話し合いは最悪の結末で終わり、楓花さんはこれまで以上にかいがいしく俺の世話をしてくれるようになった。
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