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(……もう、残像くらいしか見えない……)
俺の不注意な一言でより張り切ってしまった楓花さんの動きは機敏すぎて、もうどこにいるのかわからない。というか、どこにでもいるような感じだった。
呼びかければ返事はしてくれるし聞こえるが、姿をとらえることができないのだ。
果たしてこれは、一緒に暮らしていると言えるのだろうか。
夫婦、と言えるのだろうか。
自分のまいた種だという自覚はある。なんとしても早急に解決しなければならない。
俺はしばらく考えた後、今度は事務の小真木に相談することにした。
「あのさ、夫婦って、相手に要求を呑んでもらいたいときって、どうするのかな?」
「え? ……もしかして、新婚なのにうまくいってないんですか?」
「うまくいってないなんてことはない」
俺は強硬に否定した。
「そんなことはないから絶対。でも、何か知ってたら教えてくれないか?」
「うわー、必死! びっくりですね。先輩って、もっと淡白じゃなかったでしたっけ?」
(淡白? 俺が?)
首をかしげていると、小真木は胡乱げな目つきを寄こしてきた。
「……まあいいですけど。でも、なんで私に? 私、まだ結婚してませんよ?」
「でも、女性だからこそわかることってあるんじゃないか? もし結婚していたとして、相手からこう頼まれたら断れないとか、そんなのないかな?」
「うーーん……」
彼女は唇を尖らせてしばし唸った。
「いやー、全然わかんないっすね。そんな相手いないし、想像できません。まあ月並みですけど、プレゼントとかはどうですか? あ、あとあれは? ドラマとかでよく見ますよね。夫婦喧嘩の定番のあれ」
彼女はにやにや笑いながらあるセリフを口にすると、呆気にとられている俺を残して仕事を再開した。
断じて夫婦喧嘩ではないのだが、プレゼントというのは一考の価値があるかもしれない。
しかし、その日の帰りに女性に人気の雑貨店や化粧品店に入ったものの、何を買ったらいいのかまるでわからない。
彼女が欲しいものも、愛用しているものも、何一つ知らないのだ。仕方なく、女性が好みそうなものを適当に見繕うとしたが、どうしても気が進まない。
夕方の街を行き来する女性たちを眺めていると、ふと、小真木の言葉がよみがえった。
――先輩って、もっと淡白じゃなかったでしたっけ?
相手の好みそうなものではなく、一般的に女性の好みそうなものをプレゼントする。きっと、今までならそうしていた。
それが淡白だというのなら、確かに、小真木のいう通りだったのだろう。
けれど、楓花さんにそうするのは許されないと思った。
たぶんそれは、彼女が一生懸命だから。方向性はズレているかもしれないけれど、彼女なりに真剣だから。
俺だって、中途半端な気持ちで彼女に向き合うことはできない。
(……しょうがない。残る方法は一つだけだ)
これを言うのは勇気がいるが、背に腹は代えられない。
覚悟を示そうじゃないか。
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