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彼女は夕食を食べ終わると前の日に借りた本を本棚に返して、新たな本を借りていくようになった。その中には僕が好きな本もあって、その本の優れた点や納得できなかった点などを二人で食事中に議論するようになった。彼女は決して自分自身の事は話さなかったが、読んだ本のことはよく話すのだ。
彼女は頭の回転が速く、十四歳の女の子ならではの独特な視点から導き出される感想は聞いていてとても面白かった。
「この作者の書く文章が好きなの」と彼女は読み終わった本をペラペラ見ながら言った。「事実の外堀を埋めるだけで、読者にも登場人物にもその真相は誰にも分からない。そういう本はきっと好き嫌いはあるんだろうけど、わたしはとても気に入った」
「その人の小説は面白くないけれど、良い小説なんだ」
「面白くないけど、良い小説」と彼女は僕の言ったことを繰り返した。「あなたの言いたいことはよく分かる気がする。確かにこの本を面白いというのは変な感じがするね」
僕は彼女がまさか共感してくれるとは思わず、少し驚いてしまった。彼女はそんな僕の様子を見て怪訝そうな顔をした。
「その小説は君がもっと年を重ねたときに読んでみると良いよ。きっと、今読むよりも意味がよく理解できると思うんだ」
「ふうん」彼女はそれに関してはよく納得していないようだった。「この本はあなたが買ったものなんでしょ」
「いや、その本は僕が買ったんじゃない。あそこの本棚にある小説のほとんどは一年前までここで一緒に暮らしていた人が買った物なんだ。つまり僕の妻だった人だね」
彼女はくるりと振り返って、本棚に残されている小説をまじまじと見始めた。
「まだ奥さんの事が好きなの?」
「どうしてそう思うの?」と僕は訊いてみた。
「だって他の物は全部捨ててあるのに、あそこの本棚だけびっしり本が詰まってる」と彼女は何でもないようにいった。「わたしね、本棚は人の価値観とか性格を一番分かりやすく表していると思うの。その人の本棚にある本を読んでみればその人がどんな人なのかが自然と浮かんでくる。頭の中をぱっくりと開いて覗き見てるみたいに。だからね、私は絶対に自分の本棚を誰かに見られたくないの。他人に勝手に自分の事を知った気にならないでほしいから」
「なるほど」と僕は感心して言った。
「これって幼稚でくだらない意見だと思う?」
「いや、そんなことはないよ。とても良い意見だね」つまり僕は無意識的にしろ、妻の象徴のようなものを一番よく見える位置に飾っていたという訳だ。「君にお礼を言いたい気分だよ。なんだか喉のつかえがとれたみたいだ」
「じゃあ、そのお礼で一つ私のお願いを聞いてもらえない?」
「なんだろう?」
「その子供と接するような口調をやめてほしいんだけど」
僕は今更になって彼女は自分が子供扱いされていたことに不服を募らせていた事に気がついた。でも僕らには一回りほど年齢に差があるし、実際彼女はまだ子供だったのでそう言われてもどう口調を改めればいいのか分からなかった。
僕が答えに悩んでいると、彼女が眉をひそめて明らかに不機嫌そうな顔をしているのが目に映った。その瞳は脇に嫌な汗がじんわりと滲んでくるような類いのものだった。
「オーケー。じゃあ今から僕たちは友達だ」と僕は言った。「僕たちは大雨が降る夜にあるシックなバーで出会ったんだよ。僕は髪の濡れた君にタオルを貸す。お礼に君は僕が付けていたネクタイを褒める。僕は君が履いている真っ白なパンプスを褒める。ほら、僕たちはもう友達だ」
「なにそれ。くだらない」ハルはそう言ってクスリと笑った。「でもそれってなかなか悪くない意見だね」
それは彼女が初めて見せた子供っぽい笑みだった。
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