本日、最後の電車です

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本日、最後の電車です

 ここ最近、終電で帰る事は無くなったのに、今日は終業後、後輩の相談と言うか、愚痴と言うか、自慢と言うか。そのどれもに付き合わされて、お酒も飲んでいないのに、こんな時間になってしまった。  時計をチラチラ見ながら、「そろそろ帰ろうか」の雰囲気を醸し出していたのに、気づいてもらえず、最終的に帰るきっかけになったのは、後輩の恋人からの連絡が来たことだった。  私には、もう何年も恋人はいない。恋の予感も出会いも無い。  だからかな。相談より、愚痴より、自慢より。恋人からの電話に答える後輩の顔が可愛くて、今日一番のダメージを受けた。  羨ましい。  久しぶりに味わう、女としての羨望だった。  そんな、モヤモヤや、イライラや、チクチクを消化できないまま、本日最後の電車に乗った。  深夜の車内はくたびれた空気が充満している。  左隣に座っているサラリーマンは首が折れたように俯いて、静かに寝息を立てているし、向かいに座っている派手な髪色の学生風の女の人は、眉間にしわを寄せながらスマホを睨んでいる。  私はどんな風に見えているのかな?  そもそも存在しているのかな?  いつも、目立たないように、無難な洋服を着て、無難な髪色にして、無難な化粧をしている。  まるで、自分の存在を消しているような私なのに。誰にどう見られているかを気にするなんて矛盾している。  なのに、誰に見られている訳でも無いのに、きちんと足をそろえて、きちんと鞄を膝に置いて座っている。鞄を押えている指は、プレーンなネイル位もしていない。自分の色気の無い手を見ながら、自嘲した。  恋をする準備もしていないのに、出会いなんて求める方がおかしいよね。  まだ消化できない気持ちを、無理やり吐き出すように小さくため息を履いたら、私が降りる駅に停車したため、席を立った。  車内のほとんどの人が降りるようで、ドアが開くのを待っている。  私も鞄を肩にかけて開いたドアに向かうため一歩踏み出したら、左手を強く引っ張られて、驚いて立ち止まった。  振り返って、更に驚いた。  隣で寝ていたはずのサラリーマンが私の手を掴んで、真っ直ぐ私を見ているのだ。  まるで、恋人の手を掴んでいるような。探し求めていた人を見つけたような。そんな目だった。  私は私で、もしや元カレかと思ったけど、覚えのない顔で。なのに、私の頭は、一所懸命誰かを当てはめようとしている。  私達が手を繋ぎながら固まっていると、電車のドアは無情にも閉まり、次の駅へと動きだした。  それが合図だったかのように、サラリーマンはようやく声を出した。  「ごめんなさい。寝ぼけて。ホント、すみません」  寝ぼけて・・・。  そうですよね。それしか無いよね。  こんな衝撃的な出来事が私に起こるなんて、事故以外ありえない。  「いえ、大丈夫です」  何が大丈夫なのか分からないし、終電なのに降り過ごした事は、全然大丈夫でもない。でも、その言葉しか、私の口からは出てこなかった。  サラリーマンはようやく私の手を離して、無言で深々と頭を下げた。  私はそれを横目に、また同じ席に座り、次の駅に着くのを待つ。  「これ、終電ですよね?あの駅で降りるんでしたよね?」  事態を理解し始めているサラリーマンは、段々焦り始めて、また、深々と頭を下げた。  「ホントすみません。次の駅で降りて、タクシー捕まえますから」  私よりも年下に見えるサラリーマンはよく見ると、そこそこイケメンで、必死に謝る姿は、ちょっとだけ好感が持てた。  「大丈夫です。あなたは自分の駅で降りてください」  勤めて笑顔で、全然気にしていないことをアピールするように言った。  本当は、手を掴まれた時から、忘れてていたドキドキが次から次へと湧き出て、変な勘違いを起こしそうなのに。  「…優しい。でも、ホントは自分もあの駅で降りなきゃ、だったんです」  苦笑いした顔が、また可愛くて、ドキドキに混じって、キュンが顔を出す。  「そうですか。じゃ、次はちゃんと降りないと。ですね」  サラリーマンの口調を真似して、おどけたつもりで答えた。  「はい」  サラリーマンはくしゃくしゃと、緩くパーマのかかった髪を掻きながら、苦笑いをしながら、小さくため息をついた。  「あなたの時計が、片思いしていた人が着けていたものと似ていて、だからつい、掴んでしまいました」  恥ずかしそうに、呟くように言い訳をする。  私は、左腕に着けている細いシルバーの時計を触った。  これといって特徴の無い、どこにでも売っている腕時計。  時計ブランドの物だけど、一番求めやすい価格帯のそれは、記憶に残るような物とは思えない。だから、片思いの相手への強い思いが垣間見れて、何故か嫉妬した。  「そうですか」  もう会話を終わらせたくて、そっけなく答える。  「もう、とっくの昔に振られてるのに、未練がましくて、カッコ悪いです」  また、人生の後輩に愚痴なのか、惚気なのかを聞かされそうで、ため息で吐き出したはずの消化しきれなかった気持ちが、戻ってきた。  降りるはずの駅で降りられず、新しい恋の予感かと思ったら勘違いで、私だけが一喜一憂している現状と、相手は今後も関わる事が無さそうな他人。  もう、いいか。  私の中で、気持ちのケリがついて、消そうとしていた言葉を消化させるように吐き出した。  「カッコ悪いのは、私の方です。貴方に手を掴まれて、不覚にもドキドキしまた。でもそれは、私では無い人への衝動で、少し期待してしまった自分が恥ずかしい。おまけに、今、初めて会ったのに、貴方が思いを寄せている人への気持ちが強くて、それに嫉妬してしまった自分に驚きです。こんな私より、カッコ悪くなりたかったら、もう二度と、人違いで手を掴むことが無いくらい、まだ思いが残っている人に気持ちを伝えてください」  自嘲するように笑いながら、カッコ悪い自分を全部吐き出した。  言い終わると同時に電車は駅に停車した。  今度は絶対に降りれるようにすぐにドアの前に移動する。  そしてドアが開くと同時にホームへ降りた。  恥と一瞬の恋は車内に放り投げたから、馴染みの無いホームが少し軽くなった私を新しい世界に招き入れてくれているみたいで、不安なのに、嬉しかった。  改札をくぐり、タクシーにするか、歩くかを少し迷っていると、また左手を掴まれた。  電車の中のデジャヴなのか?場所を変えたタイムリープなのか?  私は同じように振り返り、今度は見上げた。  電車で私の手を掴んだサラリーマンが、また私の手を掴んで真っ直ぐ私を見降ろしている。  「僕だって、ドキドキしました。人違いだって分かっても、優しい言葉をかけてくれたあなたにキュンとしました。カッコ悪い出会いだけど、これで最後にしたくは無いです。一緒に一駅分歩きませんか?あなたをもっと知りたいし、僕をもっと知って欲しい」  車内に放り投げた恥と恋は、王子様が拾って届けてくれた。  奇跡が起きた。  あっ、ヤバい。  もう既に、思考が恋愛モードになっている。  恋をする準備なんて無くても、恋に落ちてしまうって事、忘れてた。  私はまたドキドキしながら、ぎこちなく頷いた。  了  
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