○○デー

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○○デー

【バレンタインデー(Valentine's Day)、セイントバレンタインデー(St. Valentine's Day)、聖バレンタインデー】  毎年2月14日に世界各地で『愛の誓いの日・恋人たちの日』とされており、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した『聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)』が由来。  日本においては伝統的に女性から男性にチョコレートを贈る日とされてきたが、これについて批判や不満が多く近年は変化している。 ✤  日本に初めて『バレンタイン』の名が登場したのは、第二次世界大戦後まもない1956年。  1960年代は、女性から男性へ贈り物をするという風習はなかったようで恋人・家族・友人間でのプレゼント交換が勧められていた。  1970年前半頃になるとチョコレートの売上が急増、後半頃にはOL達がチョコを買うようになり売り上げは右肩あがりになる。  1980年代後半頃には夫・父親・義父に贈る主婦層にも普及した。 (※義理チョコ、友チョコ、逆チョコ、ご褒美チョコ、強敵チョコというものも見られる) 兵庫「…」 三重「どうしたの?」 兵庫「少し補足させていただきます」 ↓  神戸のモロゾフ製菓が1936年(昭和11年)2月12日、外国人向けの英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー(The Japan Advertiser)』に「あなたのバレンタインにチョコレートを贈りましょう」という広告コピーを掲載したのが始まりだとされている。  定着しなかったバレンタインデーだったが、モロゾフのオーナーは諦めずそれから15年後の1951年(昭和26年)に、真っ赤なハート型パッケージのチョコでバレンタインを宣伝したのを大阪の阪急百貨店が目をつけ毎年の恒例企画になっていった。  1992年(平成4年)に聖バレンタイン殉教の地イタリアのテルニ市から神戸市に愛の像が送られた。理由は「神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったから」との事である。 兵庫「以上」 三重「な、成程?」 ✤  1958年(昭和33年)2月にメリーチョコレートカムパニーが新宿・伊勢丹に『バレンタインセール』の看板を出したが、3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。  翌年もバレンタインデー企画を敢行。ハート型のチョコや「女性から男性へ」というメッセージも作られた。  開始当初、知名度はほとんどなかったが1960年-1965年にかけて新聞や雑誌にたくさんの広告が出され、だんだんと一般的に浸透していった。1965年からは伊勢丹でバレンタインフェアが行われるようになった。 (※女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のもので新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始まりであるという説がある) 東京「俺も補足しとく」 ✤ ▶ホワイトデー(3月14日)  バレンタインデーに女性からチョコレートなどを贈られた男性がお礼のプレゼントをする日。最初は、女性にマシュマロをプレゼントするという事で『マシュマロデー』と言われていた。  バレンタイン司教の殉教から1ヵ月後、兵士の自由結婚禁止に背いた男女が改めて永遠の愛を誓い合った。という伝説に由来して制定したらしい。  (※キャンデー・マシュマロ・ホワイトチョコレート・クッキーなどでお返しするのが一般的になっている) ▽全国飴菓子工業協同組合  日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和40年代に入ってから、個々に独自の日を定めてマシュマロ・クッキー・キャンデーなどを『お返しの贈り物』として宣伝販売するようになった。  この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。  1978年(昭和53年)6月に全飴協の総会で『キャンデーを贈る日』として制定され、2年の準備期間を経て1980年(昭和55年)に第1回の『ホワイトデー』が開催された。2回目の1981年には「好きな女の子にキャンデーを贈ろう」というキャッチフレーズが添えられ、1984年の第5回キャンペーンには各地で品不足になるほどの盛況となり、同組合ではこの1984年をホワイトデー定着の年としている。 ▽不二家・エイワ説  『リターン・バレンタイン』という名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、1973年(昭和48年)にマシュマロを中心とした菓子を製造・販売する株式会社エイワと協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した。 ▽石村萬盛堂説  1905年(明治38年)に創業し福岡県福岡市博多区に本社を置く製菓業者。  1977年(昭和52年)にバレンタインデーのお返しにせめてマシュマロでも渡してほしい、旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを目にした事で触発され、バレンタインデーの返礼としてマシュマロを渡す日を創設。返礼用マシュマロ菓子として「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」という黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出すこととした。  マシュマロデーは、福岡随一の百貨店であった岩田屋(現:岩田屋三越)のアドバイスで1978年(昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。他業界にもこのキャンペーンを拡張するため、1980年代に百貨店側からの申し出により名称を『ホワイトデー』に変更した。 (※一般社団法人・日本記念日協会には『ホワイト・デー』の名称で石村萬盛堂が制定した記念日として登録されている。また、石村萬盛堂は同協会より第11号『記念日文化功労賞』を受賞している) 福岡「2つの説があるんだよな」 ✤ ▶オレンジデー(4月14日)  愛媛県の柑橘類生産農家が1994年(平成6年)に発案し、JA全農えひめ(全国農業協同組合連合会愛媛県本部)が2009年(平成21年)に制定。  二人の愛情を確かなものとする日としてオレンジ・オレンジ色のプレゼントを贈り合う。由来は、オレンジが『花嫁の喜び』という花言葉を持つことである。 愛媛「みかんの日もあるんだけど、その日は11月3日と12月3日なの。異なるから気をつけてね」 ✤ ▶セプテンバーバレンタイン(9月14日)  女性から男性へ別れを切り出してもよい日とされる。紫色の物を身に付け、白いマニキュアを塗り、緑のインクで書いた別れの手紙を直接手渡すという。  1967-1982年まで放送されていたTBSラジオの深夜番組『パック・イン・ミュージック』が発祥だといわれている。  これに関連してシンガーソングライター・佐々木幸男が1978年(昭和53年)にEPレコードのシングル『セプテンバー・バレンタイン』を発売している。 (※ラジオのリスナー以外の一般層には殆ど浸透した風は無い) 茨城「紫色=悲しみの色、白のマニキュア=愛情が冷めた、緑色のインク=別れの合図という意味が込められてるのよ」 栃木「…折角だし、佐々木幸男のセプテンバー・バレンタイン聴いてみようかな」 ✤ ▶メイストームデー(May Storm Day、5月13日)  日本語で『5月の嵐の日』と言われる。  立春から数えて88日目『諺:八十八夜の別れ霜』にちなみ、別れ話を切り出すのに最適な日・別れ話を切り出していい日と制定されている。  『メイストーム』は和製英語なので日本が起源とされており、若者の間で自然発生した和製記念日と考えられている。 静岡「八十八夜の方が馴染み深いかもしれないな」 京都「…まあ、あまりいい記念日ではないですからね」 ✤ ▶メンズバレンタインデー / 逆バレンタインデー(9月14日)  日本ボディファッション協会(NBF)が1991年(平成3年)に下着の即売促進などを目的に制定。  男性が好きな女性に下着を贈り愛を伝える日。認知度はかなり低い。  下着を贈るというハードルはかなり高かったようで普及活動をストップ。現在、同協会では特にイベントなどは実施していないようである。 全員「……」
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