プロローグ、らしい。

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プロローグ、らしい。

不動産、銀行、アンティークショップ、ブランドの店。 立ち並ぶビルの一階は、多彩なもので溢れている。 ビル群とビル群の間、メインではないストリートはそんなところだ。 そのストリートの一角、喫茶「チェフロ」の窓際のカウンター席に座り、紅茶を片手に街を往く人や車、そして時間を眺めるのが、俺の最近の楽しみだ。 勿論、俺はただそれだけのためにここに来ているような暇人ではない。 俺は小説を書くという仕事をしている。 ……売れてはいない。 細々とだが、自分の書きたいことを綴っている。 が、自宅の家賃三万アパートでは雑音が多い。 何処かいい作業場はないかと探して歩いていたところ、この小さな店を見つけた訳だ。 それが三週間前のこと。 小説家という仕事柄、こういった場所では物を思い付きやすい。 静かで落ち着き、邪魔も入らず、長居しても注文さえすれば許される…… 一度でこの喫茶店に心酔した。 それからずっと、昼過ぎに入店しランチを済ませ、紅茶を片手に夕方まで手帳やらパソコンやらと気長に向き合う。それからディナーを頼み、夕焼けの美しい頃に店を出る、というのを繰り返している。 ここの客はマナーある人間ばかりだ。 どんな客でも、大声を立てることはなかった。 注文にケチをつけることも無論ない。 窓際の席をお薦めしてくれたのも、常連とおぼしきご老人だった。 「街の様子は、色々なものを教えてくれますからねぇ」 俺も、この店には色々と教わったようだ。 だれも彼もが、皆素晴らしい人々である。 店側も同じく。 どれだけ長居しても、マスターは何も言わない。 ウェイターも笑顔を絶やさない。 むしろ、「進み具合はどうですかな?」やら「今日もお疲れ様です」などと声も掛けてくれる。 サービスも、ちょこちょこ。 とりわけウェイトレスの掛井さんは、俺の作業をよく見に来てくれる。 掛井さんはバイトらしい。 大学の合間を縫って学費のために働いているそうだ。 展開に行き詰まった時は、二人で談笑するのが楽しい。 世間話に、掛井さんお得意の歴史の話。 「知ってましたか?あの真田十勇士で有名な猿飛サスケ、実は架空の存在だったとか!」 恋物語の書き方なども聞かれたな。 そんな時こちらを見て、マスターと常連さんたちは意味ありげに微笑んでいたな。 ちょっと意味はわからなかったが。 俺はこの店が大好きだ。 いつかこの店を題材とした本でも書こうかと、本気で考えているくらいだ。 売れるかどうかはさておき、な。 そして今日も、俺はこの店に足を踏み入れる。 いつものランチを注文し、紅茶を片手に街のにぎわいを見つめる。 掛井さんがやって来て、いつものように笑いあう。 「皆野さん聞いてくださいよ!昨日友達が私のことを歴史ヲタクって呼んできたんです!違いますよね?どう見ても普通の女子大生ですよね!?」 「それ、あながち間違ってはないと思いますよ?」 「そんなぁーー……!」 「まあでも、好きなことに熱中するってのは全然悪いことじゃないですよ?むしろ良いことだと思います」 「え?そうですか?じゃ、じゃあ……歴史ヲタクでも……いいかなあ……」 ああ、人生してるなあ。 そして。太陽が下がりつつある昼下がり。 店のドアベルがカランカランと鳴った。 入ってきたのは、はじめて見る...女性。 その人は、やや短く括った茶髪に碧い目を輝かせながら席を探す。 何というか、女性らしい女性だ。 しかしまた、同時に人形(ドール)のようでもある。 シンプルな紺のカーディガンに、灰のロングスカート。 派手な装飾も華美な色もなく、各段目立つわけじゃない。それなのに、何故だか視線が吸い寄せられる。 人形らしい人形たる服装だ。 女性は俺の隣に腰かけた。 メニューを手に取り、何かを探すように視点を素早く動かしている。 一枚めくり、また一枚めくって、少しいったところでようやく止まる。 注文するようだ。 メニューを戻し、女性は静かに口を開いた。 「すみません。ニシンと玉ねぎのマリネを1つ」 透き通り、春風のように穏やかなその声色が店内に響く。 それが、探偵・咲良座毬音(さくらざまりね)との、最初の出会いだった。
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