分かる奴には分かる

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 僕は今更言うまでもなく純然たる日本人だが、慮ってみると日本人として誇りを持てたことがない。  小さい頃からテレビっ子でブラウン管を通して欧米人に対して常に劣等感を感じていた。  端的に言って欧米人は格好良いし、本物だが、日本人は格好悪いし、偽物だと思っていた。  特に1960年代か70年代にかけて青年期を迎え、感受性豊かに過ごしていた日本人は、そう感じたことだろう。実際、ロックも映画もファッションも車も欧米の猿真似で偽物で比較にならない程、格好悪かった。それ程までに60年代70年代の欧米のカルチャーは、多士済々の切れ者たちによって格好良いのみならずヘビーでディープで味わい深く見る目のある日本人は憧れたものだ。リアルタイムじゃないけど、僕も憧れた。そのパッションは今、Kポップスターに憧れる若者の比ではなかった。60年代70年代の米英の本物のロックを聴いて育った身にとっては、只もうミーハーかお洒落感覚でペラペラなものに憧れている浅はかさを感じる。  顧みれば日本の猿真似は明治維新以来、欧州化から始まり、戦後、アメリカ化し、21世紀に入ってからは世界的なグローバル化IT化の波に押し流され、何が日本らしさなのか、ほとんど判然としなくなり、日本人らしさが希薄になってしまった。  そもそも日本人らしさとは何か?よく大和魂なぞと言うけれども、あれは曾て大日本帝国政府が悪用したように勇ましいものじゃなくて元は平安時代の女性歌人の心を言い表したもので本居宣長が言ったようにものの哀れを知る心である。後よく言う武士道に至っては歴史が浅く江戸時代中期から後期にかけて確立したものであるが、あれは儒教に影響されながら裏切りが当たり前だった戦国時代の省察を踏まえ日本の倫理を謳った理想的精神の集大成であって僕は日本の独自の文化は江戸時代に鎖国しながら極まり、明治以降は夏目漱石が滅びるねと予言した通り滅びの一途を辿ったと思う。  戦後アメリカの属国に成り下がったのが滅びの道を突き進むことを決定づけた。今やどうだ、オリジナルの戦力すら持てないではないか。第一自衛隊の愛国心も人員も不足している。  全体的に見ても日本人は戦後からのGHQの3S政策、そして日本政府が引き継ぐことによって骨抜きにされて行き、今や、すっかり愚民化し、日本精神もクソもなくなり、おまけにイーロンマスクも言っているように少子高齢化が進んで文化どころか民族自体滅びる事態を迎える鬼胎をしなくてはならなくなった。  こうなりゃ滅びの文化だね、美人も今に滅びるよ。今まで散々書いた通り若い女が出っ歯になる傾向も進んでるからな。告白したくなる女もいなくなったりしてね。全く夢も希望もありゃしねえや。  それに引き替え、江戸時代は江戸文化が栄え、と言っても全人口の9割を占める農民にはほとんど関係なかったんだけど、落語にもあるように権現様御入国以来、男が荒くなっちゃいけねえってんで吉原に廓を拵えた。で、益々以て天下泰平、博徒でも悪人ばかりじゃねえんで、食いねえ食いねえ寿司食いねえってね、森の石松、清水の次郎長、左甚五郎なんて(てえ)した大工(でえく)もいて、世之介みてえな好色一代男に、弥次さん喜多さんみてえな旅人もいるかと思えば、俳人の芭蕉も旅は道連れ世は情けってね。国定忠治みてえな侠客もいるかと思えば、鼠小僧次郎吉みてえな鯔背な奴もいたりなんかして兎に角、粋だったね。武士も大名から浪人まで様々で大岡越前みてえな庶民の鏡もいりゃあクソもいて柳生十兵衛みてえな剣豪もいりゃあ芋侍もいて自余にも今絶滅した種として豪傑という者があって武士のみならず文人や粋人や学者や医者や歌舞伎役者や高僧や力士など名にし負う者を挙げればキリがねえからやめておくけど、僕は分けても葛飾北斎が好きであんな骨のある変わり種は現代日本には絶対いねえね。強いて挙げれば僕かな(笑)。  女も無名ながら個性的でピンからキリまで様々で花魁もいりゃあ女義太夫もいてお姫様もいりゃあ伝法もいて浮世絵の美人画一つ取って見てもお洒落でさ、ほんと、着物の意匠も着こなしも装飾品もポーズも凝ってるよね。俳句も都々逸も工夫を凝らして書物も粋でさ、戯作って言っても今、持て囃されてる文字通りくだらん読み物と違って坂口安吾が言ってたように戯作の精神がなくちゃ本物の文学は生まれないんでね。でも、安吾の晩年の頃から日本の文学はもう駄目だったみたいだね。最近の芥川賞受賞作品なんかもひでえもんだよ。選考委員のメンバーもひでえし…  近代以来、日本の唯一誇れる独自の文化と言えば、漫画やアニメだと思うけど、それも昭和の終わりまでだった。今はネタもそうだけど絵心にまで戯作精神が無くなっちまって、てんで駄目だね。ま、そんな訳で日本はどうしようもねえや。  あっ、でもさ、僕、日本の世界に誇れるもの持ってるんだ。ホンダビートだよ。何しろ本田宗一郎の最後の息吹がかかったスポーツカーで而もオープンでミッドシップでさ、古き良き時代のホンダミュージックをダイレクトに聴けて、トンネルの中だと音がむっちゃ響くから60年代のホンダF1ミュージックそのものの豪快な甲高い音、いや、これ、ほんとに、不思議なんだけど、まんま奏でてくれてさ、堪能出来て僕にとって超お宝なんだ。  それと早乙女愛、彼女も日本の宝だね。この宇宙で何が神秘かって彼女の黄金比を極めた美しい女体だよ。世界広しと雖も、宇宙が無限大であっても、これに勝る美はないね。そう感じる僕は幸せ者だ。彼女の素晴らしさも散々書いて来たけど、今回は彼女のヌード写真集と高岡早紀のヘアヌード写真集とを比較して感じたことを述べたいと思う。  高岡早紀は結構好きだったから彼女のヘアヌード写真集が出た時、こりゃすげぇ買いだと思って買ったんだけど、あんまり良くなかったね。何が良くないって手足がすらっとしてるのは良いんだけど、骨走ってて肉付きに色気がないんだ。顔も色気がなくて何だか目が腫れぼったくて表情が冴えないんだ。そこへ行くと早乙女愛は手足がすらっとしている上に肉付きがむっちりと艶めかしくて顔も表情豊かで色っぽくもかわいくもかっこよくもなるんだ。バストの大きさは然しもの早乙女愛でも劣るけど、何しろほっそりとした体に対する突き出た感じや大きさやバランスや形が程良くて刺激的で乳輪も大輪の花のようで圧倒的に色気を感じる。ウェストやヒップのラインも然りで顔の造作も完全に凌駕している。以上、個人的意見と馬鹿にするなかれ、早乙女愛と比べちゃうと、どんな美人でもそうだけど霞んじまうもんでね、これは憚りながら長年センスに磨きをかけにかけて来た審美眼を以て冷静に公平に判断した結果である。分かる奴には分かるということだよ。
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