1.変態の進化系

1/1
前へ
/15ページ
次へ

1.変態の進化系

 コンクールの狂乱も落ち着きを見せ始め、大学3年生になった俺は、また大学と店とを往復する単調な生活に戻っていた。 野郎の音大生は大抵教職課程を取っているが、俺の就職先は新宿五丁目の『スナック・沙絵』に決定しているから、3年生ともなると授業の量も少しだけ落ち着くのだ。  というわけで、折角姉貴が残してくれた学費を使わせてもらっているのだからと、嘱託伴奏者としての本格稼働を目指して、他の先輩伴奏者の仕事を拝見すべく聴講を重ね、意地汚いほどに元を取ろうとしている今日この頃であった。  今日は今日とて超絶美人巨乳女史こと千堂美佐緒(せんどうみさお)先生のレッスン日である。 「ああ、全然だめ」  レッスン室では2台並ぶグランド・ピアノにそれぞれ座り、窓側のピアノに座る先生が、今俺が弾いたばかりのパッセージを弾いてみせた。いや、俺の真似だ、悪い方のやつ。 「え……」  先生はわざと体を揺らし、腕を無駄に動かして見せた。すると、ヘンデルの折角のパッセージが歪み、品が無くなるのがよく解った。ただ、それって、俺か? 本当に俺はそんなにヘタレな体の使い方をしているのか? 「オケ伴ばっかりやってたから仕方ないけど、ソロの時に必要な体のバランスじゃなくなってるのよ。一つでも多くの音を出さなきゃって、頑張って踏ん張って、届かない音まで必死に掴んでいたのはおしまい。お店でショパン弾いていた時は、もっと背中で支えて腕は真綿のように使えていたでしょう」  先生は時折、一人で俺の店に来てくださる。というか、抜き打ちテスト同然である……ただの巨乳の美女客、と念仏のように唱えていたら、繰り返しのカデンツを間違えて、永遠に曲が終われない魔の無限ループに嵌ってしまったこともあった。 「自分ではあまり変わっていないような……」 「連城京太郎、もっと自分の体と向き合いなさい。ピアニストの肉体のピークは二十歳前後と言われている。でも、どうして往年の名ピアニストが80代になっても平気の平左でコンツェルトクラスをバンバン弾けていたか。正確無比なテクニックだけではない、体の筋肉をどう使うかを知り尽くさないと、オケ伴なんて1年と持たずにお箸も持てなくなるほど腕がダメになるよ」 「マジっすか……」 「だから、ソロで勝負したい奴ほど、伴奏特にオケ伴やオペラのコレペティはやりたがらないのよ。どちらもやるなら、体を知り尽くさないと」  先生は手帳の端に著書名をいくつか書いて、ビリリと破ってよこした。紙切れさえ先生愛用の香水の匂いがする。 「それと、連城くんは誰が好き? 」 「は、はい? 」  いきなりそう聞かれても……と首を捻る俺に、先生はヘンデルの譜面で俺の頭を軽く叩いた。 「女子じゃなくて、演奏家」 「あ、はぁ……ルーヴィンシュタインですかね」 「しぶ」 「渋っ……て」 「だって映像あんまり残ってないじゃない。解った。じゃあさ、アシュケナージのDVDを、学校のオーディオ室で死ぬほど見といて。ってのは、アシュケナージ先生は小柄だし、手はガッチリしてらっしゃるけど、君と体型がそんなに変わらないと思うんだ。リヒテルやブレンデルみたいな大男の見るより、良いかな。もちろん、ルーヴィンシュタインの晩年の映像もよく見ておきなさい。いい、それ宿題。筋肉の構造が解ったら、一度ホームレッスンにおいで。うちのチェンバロで弾いてごらん」  まぁ、先生はあの千堂汽船の創業者一族だって話だから、チェンバロの一つや二つ、おありでしょうけど……。 「またそのショボい顔。最近の学生ってどうしてホームレッスンっていうだけで、蛇に睨まれたカエルみたいな顔するのかしら。取って食いやしないわよ」  音大生にとって、ホームレッスンは言わば地獄の宣告なのである。いや、親が際限なく出してくれるなら怖くもなんともないが……ただでさえ、学校のように授業時間が決まってるレッスンでも時間がオーバーするのに、ホームレッスンとなるともう、出来るまで二度と娑婆を拝めないくらい、次の生徒が何人待ち詫びようと、先生が納得するまでレッスンは終わらないのだ。しかも、お足もかかる。謝礼の他に、だいたい手土産を一つは用意するものだ。今は大学ごとに、当該学生のホームレッスンについては規定があり、法外に取られることはなくなったが、コンクールや一定の勝負の前となると、話は別になる。とはいえ、千堂先生は良心的だし、熱心でもある。 「レッスンでヘロヘロになるとお店に差し障るとか思ってるでしょ」  それです、俺の場合の懸念事項はそれです。そんな風に俺の家庭環境まで慮ってくださる先生を、心から尊敬しています、だから……。 「だったら走り込みでもして鍛えることね。はい、次、山田くん」  千堂美佐緒、中身は恐ろしく男前な超絶美人巨乳女史である。  ふと振り向くと、メガネをかけた四年の先輩、山田くんが既に譜面を広げてスタンばっていた。 「何それ、もう卒試の準備? 早すぎ。もっといろんな曲弾いてからよ」  でも4年は就活があるしなぁ、教員採用試験受ける奴だと、3年の時は就活する暇無いし、間際で追い込むように卒試の準備なんかしたくないもんなぁ……と、山田くんに少し同情しながら、俺は頭を下げて部屋を出た。  かく言う親友・霧生和貴も、あれだけの冠を取りながら教職課程を取っており、パンパンに詰まっている授業をこなしながら凱旋コンサートに駆け回る日々を過ごしていた。走りながら「バイバーイ」と青い顔で手を振る親友の体調が、本気で心配になってきた。  奴は、2年生の正月早々にモーツァルトコンクールの国内予選を突破し、丁度春休みの中、ウィーンでの本選出場を果たした。結果は3位。1位なしの3位である。ギリギリまで奴のオケ伴として俺もウィーンに付いていくという僥倖に与り、その輝ける瞬間をこの目で見た。  本物の、本場の、一流のオケをバックに、奴はとんでもない変身をした。  瑕疵1つなく、かと言って予定調和ではなく、和貴という男の真の真の才能が、絢爛豪華に花開いた瞬間であった。和貴の思いで、和貴の言葉で、和貴の五感で、そしてあの超絶なテクニックで、あの凪から不安と苦悩がざわめき立ちながらも希望を決して見失わない強さに満ちた、素晴らしいコンツェルト20番が紡がれた。  アンサンブル、ソロ、と勝ち抜き、最終ステージでの7人の戦いに残った頃には、和貴の兄貴たちもウィーンに勢揃いした。彼らの頭には、和貴が万が一にも本選に残れない、などという概念はなかった。必ずあのステージに立つと約束した弟の言葉を信じ、ただでさえ確保するのが難しい休暇をほぼ簒奪に近い形で取得した、とは3番目の兄である光樹さんの談であるが……。  だが、公開の本選会場にタキシードに身を包んだ超絶エリートイケメン軍団は、世界各国のメディアの注目を浴びた。光樹さんなど男装の麗人と紹介された程だ。そんな兄貴達の登場に、舞台袖でガチガチだった和貴は急速に解れ、一緒にいた俺の手を強く握って礼を言うと、堂々と舞台に出て行った。  外野の騒ぎなど眼中になく、俺も霧生家の三人も、和貴の素晴らしい脱皮の瞬間に立ち会い、これ以上にないほどに心を揺さぶられた、堪能した。  そこで終われば綺麗な話で済んだのだが、二日後の入賞者コンサートではなんと、入賞者の希望が叶えられるという主催者側からのジョークのようなプレゼントがあり、事もあろうに和貴は2台ピアノによるコンツェルトの再演を希望したのだ。 「バカか! 俺みたいなのがこんなとこで弾けるかって!! 」  半ば泣きながら丁重にお断りをする俺を、和貴は舞台に引きずり上げた。衣装1つ持っていない俺は、体型の近い光樹さんのタキシードを借り、光樹さんはなんと亡きお母さんのだという加賀友禅の訪問着を着て楚々と客席に座ったのだった。  ライトを浴びてお辞儀をすると、向き合わせに置かれている二台のフルコンサートピアノの向こうで、一緒にお辞儀をした和貴が笑っていた。そして口を動かした。『一緒に楽しもう』と。  音楽を学ぶ人間が夢見る舞台であり、訪れるだけで死んでも良いとさえ思う学友協会ホール。そこに、立っている。日本人ではない多くの観客に混じり、あの三兄弟が固唾を飲んで見守っている姿が目に入った。着物姿の光樹さんが、俺に向かって頷いてくれた。おまえならやれる、と。  前奏は勿論俺からだ。針1つ落ちても分かりそうな程の静寂が怖い。  そんな静寂に溶け込むように、聞こえるか否かの繊細な弦パートのシンコペーションを弾くのだ。肩を上下に解して脱力し、震える指を一度握り直し、息を吐くと同時に弾きだした……。  気が付けば、レセプション会場にいた、という感じだった。  後で録音を聞くと、とんでもないところでミスタッチをいくつかやらかしてはいるが、何とか和貴を引き立たせるくらいの演奏にはなっていた。  大和撫子だぁ! と狂乱してカメラを向けるメディアの向こうで、光樹さんは久紀さんの腕にしっかり絡みついて笑顔を振りまいていた。まるで夫婦にしか見えない。 「どっちが主役かわかんないね」  オレンジジュースを両手で大事そうに持っている和貴は、いつものスーパー坊っちゃまに戻っていた。 「有難う、京太郎。ここで一緒に弾けて、本当に嬉しかった。本選より、京太郎と弾いた方が楽しかったよ」 「とんでもない。おまえのおかげで冥土の土産ができた。姉貴に胸を張れる」  こんなところ、俺には一生縁がなかった筈なのだ。あのライトの向こうの光景はきっと一生忘れない。その先は全くと言って良いほど記憶がないが。 「こんなところで凌ぎを削って、死ぬ思いをして音楽して、賞をとって脱力して、またあの厳しい厳しい勝負に挑もうとするなんて……ただの変態じゃん」  和貴はふとそんな事を言って笑った。 「ああ、変態変態。変態じゃなきゃ、こんな大勢の前でピアノ弾くとか思わねぇよ」 「ウケる! じゃ、変態の進化系といきますか」 「おうおう、進化しろ進化しろい」  翌日には夏輝さんが、三日後には久紀さんと光樹さんがそれぞれ帰国した。  俺は折角なのでウィーンと、ウィーンから鉄道で3時間弱で行けるブタペストを観光して、あと五日程で帰国する事にした。  当初は、お足もないし、政さんに店を任せっきりなのも気が引けたので、夏輝さんと一緒のフライトで帰るつもりだった。しかしあの大人二人は水面下でしっかりと計画を企んでいたのだ。夏輝さんは往復のフライトにその後五日分の宿泊、移動代など旅費の殆どを、和貴のオケ伴としての謝礼だと言って出してくれた。その他に、ハンガリーの領事館にいる同期の友人に声をかけて、時間を節約して見所を回れるように手配してくれたのだ。おかげで、作曲家の生家や墓地、所縁の場所の他、なんと、ハンガリーの国立歌劇場のコレペティの仕事を見学させてもらえることさえできた。しかもそのピアニストは、お腹を壊しているからと嘘のような事を言って、俺にカルメンの第一幕、タバコ女工の歌を弾かせてくれた。  姉貴、俺もそっちに行っちゃうかも! と心の中で叫びながらも、こんなに興奮して音楽に埋没する自分がいたことに驚いた。  和貴は、レセプションの翌日、半日だけ一緒にウィーンを回ったものの、すぐにエージェントが和貴とマネージメント契約に乗り出し、ドイツ方面のコンサートツアーに半ば強引に連れて行かれてしまった。  変態の、進化の始まりである……。       
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加