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11.シャンソン・デー
イベント当日、俺は授業もそこそこにダッシュで帰り、まずは五丁目の布団屋の倉庫の後に向かった。まずは、7時台にここでステージだ。キャバクラ三軒と、ウチと、茉莉子ママのクラブ。こちらは俺が全部ピアノを担当することとした。
キャストのお姉さん達が道でチラシを配ったり、同伴のお客さんと聞きにきたり、思いの外、身内の人海戦術が功を奏した。芸達者なボーイさん達のコーラスは、おじ様層にバカ受けし、茉莉子ママの『さくらんぼの実る頃』は、ギャラリーを総泣かせにした。30分ほどのステージだが、通りは一気に温まった。クリスマスイベントで慣れたせいもあり、店通しのコミュニケーションも良く取れていた。そういう雰囲気は、お客さんにも必ず伝わる。この通りが、安心して楽しく過ごすことのできる通りなのだと。
「京太郎、後でウチのお客さんと二丁目にも行くからね」
上々の反響で気を良くした茉莉子ママに胸を叩いて見送られ、俺は二丁目の『ジルベール』に向かった。
まだ交通規制は始まっていないが、既に制服警官が準備に集まっていた。その中に、制服姿の久紀さんもいた。
「久紀さん、今日は制服? 」
「交通課の先輩に無理言って入れてもらった。マル暴もこういう時はバックアップで控えていないと、とか何とか言って」
「結構ワルなんですね、久紀さんて」
「うるせぇ。和貴を頼むぞ、京太郎」
「……多分、かなり剥けますよ、今日で」
「なんか言い方エロくね? 」
「受け取り方、受け取り方」
男前をクシャクシャに解くように笑って、久紀さんは通りの端へと駆けていった。後ろ姿も本当に男前だ、などと惚れ惚れ見ているあたり、俺も相当この街に染まっている。
滞りなく準備は済み、予定通り、イベントは始まった。まずは生島ジルベールだかアンドレだかが、黄色い声援の中でヴァイオリンを奏でる。初めにはちゃんと、あの悩ましき調弦をしてみせて、ガッシリとオネエ様達のハートを鷲掴みにした。
「キャアア! 絵島生島ちゃーん!! 」
なんで絵島生島なのかはともかくとして……よし、和貴、今だ。
悩殺するほどに色っぽく、と注文通りの旋律を奏でる生島のヴァイオリンに、和貴が2コーラス目から伴奏を重ねる。
ラヴィアンローズ、バラ色の人生。
途中からテンポをガラリと変え、フュージョンチックに軽快に刻む。と、そこに金太郎ママが登場。軽妙で洒落たラヴィアンローズから、ラストはバラード風にしっとりと歌い上げ、映えあるファーストステージを飾ってくれた。
和貴は良くなった。共演者をよく見ている。まだまだ生島のリードがなくては色気に欠けるが、今の奴の演奏なら、無理に化粧しなくても、スッピンのままで良い。ちゃんと呼吸もシンクロできている。
想定以上に掴みが良く、生島はステージから出てきたところをオネエ様方に捕まって拉致されそうになっていた。
「ほらほら、まだ生島はステージ残ってるから。お姉さん達、ちゃんとスタンバイして」
生島もノリノリで、次は下半身にピッタリ吸い付くような黒革のパンツに穴だらけのシャツといったパンクな出で立ちになり、最後には着流し姿になっていた。こんなにショーアップ好きな奴だとは思わなかったが……。
山岸さんの十八番をみんなが大切に歌い継ぎ、お客さん達も純粋にそれを楽しんでいた。歩行者天国には屋台が並び、それぞれのお店がテーマに沿った出店をしてアピールをしていた。自分の趣向に合った店を探していた人には、この上ない提示となった。どんなにSNSが流行ったとしても、人と人が面と向かってコミュニケーションすることに勝るものはない。そしてこの街は、そうした人との繋がりを大切にして紡がれてきた街なのだ。
賛同も参加もしていない店の中には、大っぴらに看板を出せない業種もあれば、バックに反社が絡んでいる店もある。そこはマル暴の久紀さんがしっかり目を光らせてくれているので、ちょっかいを出される心配もない。
今日のラストステージは、マリネママのメケメケの筈だった。
「京太郎、みんなでやろう」
和貴が俺を呼び寄せた。
アンコールがかかり、これまで出演した歌い手が全員並び、俺ら器楽メンバーも勢ぞろいして、急遽、『ろくでなし』を演奏することになった。
和貴と俺は連弾で。奴がプリモで俺がセカンド。車掌と運転者か。
最早和貴は、頭で譜面を追ってはいない。譜面なんかとっくに、風で飛ばされてしまっている。拾いもせず動じもせず、和貴は最後まで笑いながら演奏を終えた。
和貴の再生は始まっている……そう信じて。
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