5.シャンソン

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5.シャンソン

   靖国通りの新宿二丁目北交差点を過ぎて、仲通りの入り口を見なかったことにして通り過ぎると、数件、シャンソンを聞かせるスナックが軒を並べている。かつてはここから、厚生年金会館でリサイタルを打つような人気の歌い手も排出されたという。  中学の頃、何としても姉貴を助けたかった俺は、ちょっと学校で褒められたピアノの腕をバカみたいに提げて、この一角である『珊瑚』というスナックに弟子入りした。いや、正確には、ここの専属ピアニストである山岸さんに、だ。当時、あの銀巴里もまだ元気で活気に溢れ、どんな曲でも、どんな歌い手の即興にも完璧に合わせられる凄腕ピアニストが何人もいた。山岸さんもその一人で、この新宿あたりでは第一人者と言って良い。年齢的には、あの『深海魚』の園子ママと同じくらいか、シャンソンの全盛期も衰退期も知り尽くしている。勿論、今や伝説となっているシャンソン歌手の多くも、伴奏したことがあるという。  そんな人に、基礎もできていないガキが弟子入りを決め込み、山岸さんがコンサートツアーなどで店に出られない時のピンチヒッターをやらせてもらって、園子ママのクリームオムレツに有り付いていたのだ。    生島が持ってきたイタリアのマリピエロという作曲家の小品は、殊の外飲み屋のステージに合っていて、中々の人気となっていた。6曲ほど立て続けに演奏したところで、件の山岸さんが現れた。  丁度休憩時間になった俺たちは、政さんのいるカウンターに戻った。そこに、山岸さんが座っていた。 「師匠、ご無沙汰です」 「京太郎、沙絵ママの事は、本当に残念だったね。でも、お前さんが元気そうで良かった」 「有難う、師匠。皆さんのおかげで、何とかやれているんだ」 「いやいや、よく頑張っているようじゃないか。客の入りもいい」  山岸さんの前には、なんとカフェラテが出されていた。 「あれ、お酒は? 」  山岸さんは首を振った。長袖の品のいいポロシャツの襟の中に小さなスカーフを折り畳んで巻いており、臙脂に近い赤いジャケットを羽織っている。  昔は酒豪で、ママや歌い手が客に強制されそうになると山岸さんが代わりに受けて客の機嫌を取り持った程だ。  だが、数年前に体調を崩したと聞いていた。まだ、ダメなのか。 「酒はもう飽きたんだよ。冴えた耳で、お前さんのピアノを聞きたくてね」 「師匠こそ、弾いてよ。今日、冨山さんがいらしてるんだよ」 「ああ、冨山さんか」  かつての『珊瑚』の常連で、有志の仲間でシャンソンのライブをしたこともあるほどの愛好家だ。  師匠は軽く手を上げて、冨山さんと挨拶を交わした。 「薬のせいでね、関節が痛んで弾けないんだよ」 「薬、どこか悪いの? 」 「悪いも何も、寿命だよ。じゃあ折角だから、冨山さんの18番を、君たちの伴奏で聞かせてもらおうか」  客あしらいも上手かった山岸さんは、常連客の顔も好みも全部頭に入っている。十数年ぶりである筈の冨山さんの十八番が何かも、分かっている。 「生島、ラヴィ・アン・ローズと、えっと……待ちましょう、だ。行けるか」  え、ええ? と、まるで曲の題名すら聞き取れなかったように生島が耳をそばだてた。 「すまない、シャンソンは門外漢だ」 「いや、いいんだ。いけそうだったら即興で遊んでくれたらいい」  政さんが、冨山さんからの注文のサンドウィッチをカウンターに出した。それを銀の丸いトレーに乗せ、飲み物のお代わりも添えて冨山さんの席へと向かった。 「お待たせしました、ミックスサンドです。バーボンのお代わりもお持ちしました」 「相変わらず気が利くね。山岸さん、今日は弾くの? 」 「いいえ、今日はお客様です。宜しければ、僕が十八番を弾かせていただきますから、歌っていただけませんか」 「ええ、私が? 」  もう定年を過ぎた筈のおじさんだが、酒も手伝い、頬を紅潮させて辺りを見回した。この時間は常連さんが多いから、拍手が巻き起こる。まんざらでもない様子に、これは歌うな、と確信し、俺はさっさとマイクスタンドのセッティングに取り掛かった。  愛好家らしく、変に捏ねくり回さない真っ直ぐなシャンソンは、かえって心地が良い。山岸さんに叩き込まれた間奏のアレンジを入れると、冨山さんは「それそれ」と嬉しそうに頷いてくれた。 「珊瑚、お店を閉めるんだそうですよ」  冨山さんに続けとばかりに3人ほど常連がシャンソンを歌い、とんだシャンソンデーになってしまった。生島は最初こそぎこちなかったが、流石に三曲目あたりからコツを掴み、見事にオブリガードを重ねて見せた。  客を巻き込んだアンサンブルは、それはそれで盛り上がるし、純粋な音楽への愛しさが彼らから伝播して、自分の凝り固まった外面音楽をブチ壊してくれる。生島も、終わった後は何かを感じたのか、言葉もなく惚けていた。  師匠は、二人目の演奏の時に帰ってしまった。俺に小さく頷き、宙にかざした両手で音を立てぬような拍手をし、行ってしまった。  生島を帰し、閉店作業を始めた時に聞いたのが、こんな寂しい情報だった。 「時代なのかな。いい音楽なのにな」 「大人の嗜み、ではなくて、人間の呟きなんですがね、生と死の」 「生と死、の」 「ええ。人間が生きていく中で、綺麗事では済まない人間ならではの情動を言葉にしたものがシャンソンです。取り繕わず、かと言って無様に泣き喚かず、ケ・セラセラと笑いながらタバコの煙に流すようにして。本当は悲劇なのに、無様なのに、どこか洒落ていて憎めない。でも、中身が空っぽだと歌えない」  ふと、集めていたグラスを置いて、俺はピアノの前に座った。  シャンソンはタバコが小道具みたいなものだから、どこの店も当たり前のように客は喫煙をする、歌い手も弾き手もだ。だから『珊瑚』のピアノの鍵盤はヤニで少し黄色っぽくなっているし、ペタペタと独特の粘つくようなタッチになってしまっていた。それがまたアンニュイな響きになって、歌い手のドラマのこの上ない小道具にもなる。  このShigeru君だと、ちょっと綺麗すぎるのだ。  枯葉……色んなアレンジがあり、山岸さんも歌い手が見ている景色によってアレンジを変えていると言っていた。クラシック畑だと正直こうした即興が弱くなるが、幾つかのパターンは教わっていた。 「C`est une(セ テュヌ)chanson(シャンソン) qui()nous () ressemble(ラサンブル)……」  政さんしかいないのを良いことに、俺は門前小僧なフランス語で歌いながら枯葉を弾いた。あの頃、食うために必死に練習した曲だが、意外と覚えているものである。 「京太郎……」  弾き終えた時、戸口に園子ママが立ち竦んでいた。  数日後、山岸さんの葬儀が行われた。  あの後、『スナック沙絵』を出てから真っ直ぐに、山岸さんは園子ママの店『深海魚』に向かった。しかし、あの丸いドアノブに触れることはないまま、店の前で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのであった。  二丁目で山岸さんを知る人は随分と少なくなってしまった。代々幡の葬祭場で、ほんの知己の何人かで、山岸さんを送った。結婚もせず、子供もいない山岸さんは、『珊瑚』の閉店を待たずに逝ってしまった。  ふと、俺もそうなるのか、なんて思ったりした。  新宿の場末のスナックで、80過ぎてもピアノを弾き続け、あの街のアスファルトの上で死ぬ……家族もなく。  中々なものかもな、と思う。(しがらみ)もなく、衣食住の迷惑を誰にもかけず、葬式代だけを残して死ぬんだ。そうしたら、Shigeruを俺を燃やすための薪にして、跡形なく消えてしまえばいい。  泣いてくれる人、一人くらい、いるのかな……。  店の定休日の夜、久しぶりに一人で仲通りを歩いた。底抜けに明るい嬌声があちらこちらから聞こえてくる。ジェンダーフリーで来し方も肩書きも問わない街だが、隠然とした掟があるように感じる。古くからこの街で呼吸をしている人間は、それを大切に、傷を受けてたどり着いた人間を更に傷つけることのないよう、懐を大きく広げて待っている。だが、そんな彼らを滅多打ちに傷つけるものも、まだまだ少なくない。  マリネママの高級クラブのドアには、黒いリボンが結ばれている。ジャズを聴かせる涼さんのバーの入り口にも、ドイツ料理を出すハイネママの店にも。  山岸さんを知る人々はそっと、嬌声の陰で哀悼を捧げているのだ。 「京太郎」  もちろん、『深海魚』の白く丸いドアノブにも。 「ママ、沙絵スペシャルが食べたい」 「良いわよ、お入んなさい」  酒焼けした嗄れ声に、涙が込み上げるのをぐっと堪え、俺は園子ママと向き合えるカウンターに腰を下ろした。 「政ちゃんは」 「用事。たまには息抜きしてもらわなきゃ」  息抜きどころか、今日は政さんが1年で尤も苦悩する日、奥さんと娘さんの命日だ。毎年、この日を挟んだ数日は、政さんが苦悶の表情でカクテルを作っていた。新宿の男なら、理由など聞いてはならないと思っていたが、先日その理由を知るに至り、今年は昨日から三日間、休んでもらう事にした。 「そうね、そんな日があっても良いわね」 「うん」 「……今日は飲も。店、閉めちゃうから」  そう言って、園子ママはさっさと店の外の看板をしまって、札を『準備中』にしてしまった。最近は観光客のガイドブックにも載って忙しい筈なのに、こういうところ、躊躇がない。  いつにも増して、ビールが苦い……。  
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