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バレンタインデーの早朝、荻野君の下駄箱を見て愕然とした。すでにチョコがギュウギュウに押し込まれていたからだ。荻野君が学校一のモテ男子とはわかっていたけど、それにしてもこんなにたくさん…… 怯みそうになったが私は意を決して無理矢理チョコを下駄箱に押し込んだ。
このチョコにはある秘密がある。なんとこのチョコには惚れ薬が入っているのだ。つまり、このチョコを食べれば荻野君は私のことを好きになる。はず。
これは一週間前のこと。放課後に親友の夏美とファミレスでドリンクバーを飲みながら話に花を咲かせていた。会話の内容はバレンタインデーだった。お互い別の人に片思いをしている私たちは、この1年に1度の行事を使ってなんとか恋が成就しないか話し合っていた。
何回ドリンクバーをおかわりしたかわからない。それくらい話に会話が盛り上がり、気づけば外が真っ暗になっていた。
慌てて夏美とバイバイして私たちは別れた。
ファミレスからの帰り道。一人で歩きながら思った。同じテンションで話していたけど、夏美と私とでは状況がまるで違う。夏美は私と違って明るくて可愛いから男子にも人気がある。それに片思いの相手は幼馴染で、いつも軽口を叩きながらふざけ合っている仲だ。私から見れば両想いにしか見えない。
一方、私は夏美みたいに可愛くないし地味だ。それだけならまだしも私の片思い相手の荻野君が問題なのだ。
バスケ部エースの荻野君は学校1のモテ男子。長身でイケメン、それなのに女子との浮いた話は一つもない。なぜなら日本一のバスケ選手を目指していて、バスケの時間以外は不要だと、どんな可愛い女子から告白されても振り向かないのだ。そんなストイックさがカッコいいとさらに人気が高まっている。
私が彼と付き合えるなんて何がどうひっくり返っても無理なことはわかりきっている。
ファミレスでは一緒に盛り上がったものの、夏美と比較するとなんだかむなしい。
ほとんどがシャッターが下りている寂れた商店街を歩いていると余計に空しくなる。
はあ、自然にため息が漏れた。
「ちょっとそこの娘」
どこからか声が聞こえた。だけど、それが自分に向けられているとは思わずに無視して歩いた。すると、
「おい、そこの娘」ともう一度声をかけられた。
私は声のする方を見た。そこにはお世辞にもキレイとは言えない老婆が風呂敷を携えて立っていた。
「なっ、なんでしょうか」
私がおそるおそる老婆に尋ねると、老婆はニヤッと笑った。
「何かに悩んでいるようだから助けてやろうと思って声をかけたんだよ」
「私、悩んでいるように見えましたか……」
「ああ、ため息をついていりゃ誰だってわかる」
「そうですか。そうですよね」
「さらに、私はお前の悩みもわかる。まあ、女子高生の悩みなんてほとんど決まっているがね」
老婆はヒャッヒャッヒャッと笑った。
変な人に引っかかってしまった。なんとか切り上げて帰ろうとすると、老婆は風呂敷の中から小瓶を取り出した。
「気になるだろう?」
老婆は私に小瓶を向けたが、別に全然気になっていない。それより早く帰りたかった。私ははははと適当に愛想笑いをした。
「これはね。惚れ薬なんだよ」
惚れ薬?
「あれっ、ちゃっと興味をしめしたね」
老婆は不気味に笑った。そして
「お前さんが惚れている荻野は相当なモテ男だねえ。こういう物を使わないとあんたじゃどうにもならないねえ」
「どうして、荻野君のことを知っているんですか?」
私は驚いて聞いた。
「まあ、それはいいじゃないか。それよりもこの惚れ薬を使えば、意中の相手を惚れさせることができる。もちろん荻野もな。どうだい欲しくなったかい?」
ほしい。もし本当に効果のある薬だったら喉から手が出るほどほしい。
胡散臭いと思っていてはいる。だけど、私の気持ちを言い当ててるし、会話をしているうちに妙にこの老婆から説得力を感じ始めていた。
「本当に効くんですよね」
私は老婆に尋ねた。
すると老婆がこくりと頷いた。何故かそれだけで信用できた。気づくと私は老婆に財布に入っている全額の一万円を渡していた。
※
荻野君の下駄箱にチョコを押し込み、教室に向かいながら焦りに似た感情が沸いた。私のように荻野君に恋する女子がたくさんいる。わかっていたことだけど、下駄箱に詰め込まれた大量のチョコを見ると本当にライバルが多いのだと実感する。
もしかしたら、バレンタインデーの魔力で、荻野君が誰かの彼氏になってしまうかもしれない。ネガティブな感情が心に渦巻く。
でも、大丈夫だと思いたい。もちろん惚れ薬なんて胡散臭いと思ったし、効果は半信半疑だ。それでも、良い未来を期待したい。そうじゃないと息をまともに吸えない。
効果が出るとしたら翌日だろう。私は楽しみ20パーセント不安80パーセントな気持ちでバレンタインデーを過ごした。
翌日、私は睡眠不足のまま登校した。朝っぱらから胸の音が外に漏れしそうなほどに鳴っている。こんなの初めてだった。良い結果でも悪い結果でも早くはっきりさせたい。そうじゃないと心臓がもたない。
そんなことを思っていると通学路で荻野くんとバッタリ遭遇した。心臓が止まりそうになった。私は荻野君から声をかけられることを期待して立ち止まった。しかし、荻野君は私を見てもなんの反応も示さずに通り過ぎていってしまった。チョコのお礼を言われるどころか、目を合わせてすらもらえなかった。
それはそうだよね。
一気に目が覚めた。冷静に考えると、やっぱり惚れ薬なんて、そんな都合のいいものがあるわけがない。あんなものに期待した私が馬鹿だった。それでも期待した分ショックも大きい。それに一万円を騙し取られたことも輪をかけてショックだった。
自分の馬鹿さ加減を恨みながら、この日はしょんぼりした気持ちで学校生活を過ごした。
まったく相手にされなかった私と違い、親友の夏美は恋を成就させた。チョコを渡しながら告白したところ相手も同じ気持ちだったらしい。
報告を受けた私は「おめでとう」と無理やり笑顔を作って祝福したけど、内心複雑な気持ちだった。そんな自分も嫌だった。
そして放課後、いつもなら夏美と帰宅するのだけど、夏美はこの日から彼氏と下校する。
ひとりぼっち、気落ちしたまま校門をくぐると、「あの、すみません」と知らないおじいさんから呼び止められた。そのおじいさんはパッと見七十歳くらいで、タキシード姿にバラの花束を抱えている。おじいさんと学校。タキシードと学校、バラの花束と学校。どこからどう見ても不自然だった。
周りをキョロキョロしてみたが、おじいさんの視線は私にだけ向かっている。道でも聞かれるのだろうか。そう思っているとおじいさんの口を開いた。
「突然ですが私はあなたに恋をしてしまいました。お付き合いしていただけないでしょうか」
おじいさんは頭を下げながらバラの花束を私に差し出した。
「えっ、わっ私ですか?」
えっ、なんで? 意味がわからない。そもそもこのおじいさんは誰だ。まったく身に覚えがない。混乱しすぎて声すら出なかった。
気づくと、下校中の生徒からざわめきが巻き起こった。それはそうだ。女子高生がおじいさんから告白されるなんて、こんなシチュエーションはあり得ない。みんなが好奇の目で私を見ている。
おじいさんは頭を下げたまま、顔を上げない。
どうしよう。混乱が恐怖に変わり、足が震えた。その時、遠くから誰かが走ってくる音が聞こえた。視線を移すと走り寄ってきたのは荻野君だった。
「何やっているんだよ」と鬼の形相で叫んでいる。
もしかして荻野君、私を助けるために? 今頃惚れ薬の効果が表れたのだろうか。
荻野君は息を切らしながらおじいさんの前で立ち止まった。荻野君の顔が真っ赤だ。私のために怒っているのが読み取れた。
いくら私のためとはいえ、手荒な真似はしないでほしい。と私は思った。
「なにやってるんだよ。じいちゃん」
荻野君に肩を掴まれて、おじいさんが顔を上げた。
えっ、じいちゃん?
戸惑いながらおじいさんを見ると、あることに気づいた。おじいさんの口の周りにはチョコがこびりついていた。
(了)
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