今日から私が大家さん

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今日から私が大家さん

 おばあちゃんが入院したのは、宅配便の重さのせいだった。ぎっくり腰だった。 「おばあちゃん……まさかぎっくり腰で入院だなんて……」 「いたたたたたた……まだまだ若いつもりだったんだけれど、困ったねえ。ひっくり返っているのを店子さんに助けてもらわなかったら大変だったよ」 「うん、退院したらお礼に行かないとね」 「それなんだけどねえ」  病院が近所だから、私がお見舞いに行っていた。大人数部屋の空きがなく、個室だ。運がいいのか悪いのか。  おばあちゃんは私に言った。 「おばあちゃんが入院期間の間だけでいいから、三葉。おばあちゃんの代わりに大家をやってくれないかい?」 「ええ……」 「なんだい、その口調は。お手伝いしてくれてるときは、お小遣いあげてるじゃないか」 「そうだけどさあ……おばあちゃん。私だって学校があるよ?」  高校生だって、付き合いがあるし、大人が思っているほど暇じゃないのに。お小遣いで釣ればやってもらえるなんて思われてるんだろうかと、孫甲斐のないことを考える。  それにおばあちゃんが言う。 「いやねえ……うちの店子さんたち、ちょーっと訳ありが多いからねえ。大家がいたほうがいいと思うんだよ」 「おばあちゃん。訳ありの人ばかりのアパートの大家になればいいの?」 「ああ、言い方がおかしかったねえ。訳ありって言っても、犯罪者とか問題行動が多いって訳じゃないんだよ。ただ、人との付き合い方に難がある? というか。だから、大家が仲介に立てるようにいておかないと、ちょっとだけ困るんだよ」 「はあ……ご近所トラブル?」 「トラブルってほどでもないけどね。まあ、そんな感じさ。お小遣いは弾むよ。新しいスマホ欲しいって言ってただろ」 「うーん……」  私はおばあちゃんのお手伝いに、よくおばあちゃんの経営しているアパートに出かけるけれど、本当に普通のアパートだったように思う。  周りがピカピカの建物ばかりだから、ちょっと古いアパートは浮きまくっている。築何十年って建物で、二階建てアパートだ。おばあちゃんはそこの一階に住んでいる。おじいちゃんは既に亡くなっているからひとり暮らしで、心配だからと家族で定期的に様子を見に行っているんだ。  近くに銭湯があるし、スーパーもコンビニも近いから、思っているほど不便ではない。  ただ、私はときどきお手伝いに出かけるけれど、店子さんたちに会ったことはない。 「大家って、具体的になにをすればいいの?」 「なにって、日頃から三葉がしてることだよ。朝に挨拶されたら挨拶を返し、共通スペースは掃除して、なにか困ったことがあったら相談に乗る。簡単なことさ」 「うーん、たしかにそれだったらできるとは思うけど……」  たしかに私の通っている高校からは、おばあちゃんのアパートからだとちょっとだけ近くなるんだよね。なら、そこまで問題もないのかな。 「でも私もしばらくアパートに住まないと駄目なのかな?」 「通いでもかまわないけどね。でも店子さんたちと仲良くなりたいんだったら、一緒に住んでたほうが楽だよ。なに、気持ちのいいひとばっかりだから、なんにも困ることはないよ」 「うーん、なら、やってみてもいいかな」 「よし。じゃあ今日から三葉が大家だ。よろしく頼むよ」  こうして、しばらくのお小遣いの増額を条件に、私はおばあちゃんのアパートの大家代行を任せられることになったんだ。  それにしても。本当に店子さんたちに会ったことないのに大丈夫なのかな。私はそう首を捻りながら、一旦家に帰ることにした。 ****  制服、私服一式、教科書、ノート、タブレット。  しばらくはおばあちゃんの住んでいるアパートに引っ越すんだから、なにが必要かと考えたら結構な量になってしまい、結局はカートに全部入れて、カラカラと引いて行くことになったんだ。  普段はおばあちゃん家に行くときは着の身着のままだから、なかなか落ち着かない。  おばあちゃんの家のアパートの名前は【まほろば荘】と書いてある。相変わらず、周りがどんどん建物が建て替えられて真新しい中、古いうちのアパートが浮いているなあ。私がそう思っておばあちゃん家のドアを開けようとしたとき。 「あらぁ、お孫さん? 花子さんはぁ?」  どうもアパートの店子さんではなく、ご近所さんらしい。私は「こんにちは」と頭を下げる。ご近所さんが手にしているのは、器にたっぷりと詰まった煮豆だった。 「お裾分けに来たんだけどねえ」 「おばあちゃん入院したんです。しばらくは帰ってこられないかと」 「あら、まあ……」  ご近所さんはオーバーリアクションで答えてくれた。 「じゃあお孫さんが、しばらくここの大家さん?」 「そうなりますねえ」 「じゃあ気を付けてねえ」 「はい?」  なにを気を付けるんだろうなあと思っていたら、ご近所さんはキョロキョロと辺りを見回してから、こっそりと告げた。 「ここねえ……元々区画整理で道路になる予定の場所だったのよ」 「はあ……」  私が知っている限り、まほろば荘は生まれたときには既に建っていたし、ここが道路になる予定だったなんて初めて聞いた。  どうもご近所さんは私が生まれる前からここに住んでいるから、地元の情報通らしかった。  ご近所さんは続ける。 「でもねえ……区画整理でどく前は、神社が建ってたのね? 神社が移動してからっていうもの、工事現場の監督さんが次々変わったり、工事に使う機材が壊れたりって、思うように進まなくってねえ……結局道路計画は中断して、格安で売りに出されたのよ。そして建ったのがここのアパート。花子さんが来てから、あれだけおかしなことがピタッと止まってねえ……だから、お孫さんになにかないか心配なのよ」 「はあ……」 「あーあー、あんまり怖がらせんでやってくれ」  と、いきなり私とご近所さんの会話に乱入者がやってきた。  有名スポーツメーカーのジャージを着た男の人だった。足下はサンダル。身長はかなり高いけれど、180は越えてるのかな。年齢不詳で、私のお父さんと同い年にも見えるけれど、もっと若くも見える。髪は伸ばしっぱなしの髪をひとつにまとめているけれど、不思議と不潔な感じはしない。でもさわやかって感じもしないんだよなあ……なんだろう。たとえるならば……いぶし銀?  ご近所さんはぱっと口元を隠すと、私に煮豆の器を押しつけた。 「そんなつもりはなかったんだけどねえ! ああ、お孫さん。これ花子さんにお裾分けする予定だったんだけれど、あなたが食べていいからね!」 「あ、ありがとうございます。器どうしましょう?」 「食べ終わったら洗って乾かしててねえ! 今度取りに来るからあ!」 「ありがとうございまーす」  ご近所さんは、男の人を見た途端にすたこらさっさと立ち去ってしまった。おばあちゃん家の入口には、私と男の人が残される。  男の人は興味深げに私を見下ろした。 「おや、大家さんは大丈夫かい?」  しゃべり口調もどうも若者っぽくない。年齢不詳のままだ。それにしても。 「あれっ、おばあちゃんの容態、知ってるんですか?」 「そこでひっくり返ってるのを見て、救急車に電話したのは俺だからなあ」 「わあ! 助かりました! ありがとうございます!」  私がペコペコすると、男の人は「ははは」と笑う。 「おばあちゃんぎっくり腰になって、しばらくは入院なんです」 「あー、腰は大変だなあ。特にぎっくり腰は癖になるから。大家さんは働き者だが、そろそろ年だから無茶しないよう言ってやってくれ」 「はい……あ、私がしばらく大家代行をすることになりました。孫の小前田三葉と言います。どうぞよろしくお願いします」 「これはこれは丁寧に。俺は、二階に住んでいる日吉大地だ。まあ日吉でも大地でもお好きにどうぞ。それじゃあ、俺はそろそろ撮影があるから」 「あれ、撮影……日吉さんはマスコミ関係者かなんかですか?」  なにげなく聞いてみると、日吉さんは「ジャーン」とジャージからなにかを取り出した。私が「いいなあ……」と思って眺めていた最新式スマホだった。 「動画配信主やっててな。今日はいい配信ができそうだから、ちょっと取材に行くんだ。それじゃあ、新米大家さん。ここはなかなか気持ちのいい奴らしかいないから、力を抜いてリラックスしてくれていいぞお」 「はあ……いってらっしゃい……」  私はポカンとしながら、意気揚々と出かけていく日吉さんを見送った。 「動画配信主なんて初めて見たな……本当にいたんだ」  クラスの中にも、動画配信主を目指して動画サイトのアカウントを取ったり、動画SNSで踊っている動画を撮っている子たちはいるけれど、まさかおばあちゃん家の古いアパートにそういう人がいるなんて思ってもみなかった。先入観は駄目だな。  ひとまず私はおばあちゃん家の鍵を開けて、入ってみることにした。  昔はおじいちゃんとふたり暮らし。今はおばあちゃんのひとり暮らし。アパートの部屋は台所が比較的広めにある畳式の部屋だった。丸いちゃぶ台に、座布団。テレビはあるけど録画機器はついていない。  趣味の手芸のために、昔ながらの足踏みミシンにモーターを付けて電動式にしたものが、部屋の端に置いてある。私はとりあえず煮豆を冷蔵庫に入れながら、しばらくはおばあちゃんの家を眺めていた。 「普段からよくお手伝いには行っていたと思うけど、代行とはいえど大家をすることになるとは思ってなかったもんなあ。店子さんだって、今日ようやく日吉さんに会えただけだし……」  今のアパートの名簿はないかなとうろうろしていたら、本棚にちょうど今のアパート住民票が見つかった。私はそれを広げてみる。 「ええっと……日吉さん。さっき会った人だな。扇さん。この人も二階の人か。更科さん、二階……野平さん一階? そして花屋さん?」  そういえば。一階になんか出てるなあとは思ったけれど、花屋さんだったんだ。私がおばあちゃん家に行くときはいつも閉まっていたから、時間が合わなかったんだなあ。  花屋さんというと、私の中ではスーパーの一コーナーという印象が強くて、実のところ花屋さんを間近で見た記憶があんまりない。  私は興味本位で花屋さんに行ってみることにした。  お母さんが「大家代行で迷惑かけないように」と持たせてくれたお菓子を持って、花屋さんに出かけてみることにした。
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