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 空いた扉から滝のように出てきた女性たちがいなくなると、もわっと生ぬるい空気が漂う車内へ乗り込んだ。座席の向かいに立って吊り革を掴む。その予想外の温かさに一瞬面食らう。が、向かいにいるのは全員女性で、私の両側に立っているのも女性だ。大丈夫だと言い聞かせ、頭上にぶら下がるそれをぎゅっと握った。  流れていく景色はいつもと同じだ。緑を越えても、川を渡っても、ビルの間を抜けても、気づかない。それよりもスマホの画面や単語帳や、絡まったイヤホンをほどくことに夢中だった。けれど今日は、窓の外に視線が吸い寄せられる。どんどん横へ流れていく景色を、離したくないと思ってしまう。  変な夢を見たせいだろうか。いや、あの夢を見るのは初めてではない。自分の思考回路が知らず知らずのうちに繋ぎかえられているのではないか。  ガタン、と大きな音がして、体がふわりと軽くなる。そのたびに吊り革を強く握った。 「お父さん、か」  ばかみたい──小さな呟きは、生ぬるい空気に吸い込まれた。  母と妹、そしてあの子のことを思い浮かべようと、目を閉じた。アネモネの花が好きな母。子犬のように無邪気に笑う妹。そして、触れれば崩れてしまう湖面の月のような、儚いあの子。しかしぱっと浮かんできたのは彼の顔だった。どうしてよりによってあの子ではなく彼なのだろう。躊躇う心とは裏腹に、私は汗の滲んだ手でスマホを取り出した。 『ねえ、今電車?』  気づけば彼にメッセージを送っていた。すぐに「既読」が付き間もなく返事も来る。 『そうだよ。何かあった?』 『嫌な夢見た』 『え、どんな夢? 体調悪いの?』  夢の内容を訊かれるのはわかっていたが、続きを送るべきか、どうやって送ればいいのかと悩んで手が止まる。トントントン、と文字を打ち、消しては打ちを繰り返す。時折揺れる車内に抗いながらやっとの思いで送ったメッセージは、前のものから十五分経っていた。 『私が小さい頃の夢、だと思う。お父さんがいて、今は捨てちゃった人形で遊んでて。あと、お母さんのお腹に赤ちゃんがいるっていう夢』 『それが嫌な夢なの? 小さい頃を思い出したくなかったってこと?』  相手からはすぐに返事が来る。 『そうかもしれない』  そこからは「既読」がつくのみで、返事はなかった。
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