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「ちょっとそこ行く貴方…」
声を掛けてきたのは道端で商いをしている者だった。開いたキャリーバックの中には見たこともないような植物が並んでいる。
「コレ、あげるわ」
女にしては節のある大きな手が目の前に差し出された。爪は女性のように綺麗に手入れされている。その指先がつまんだ異様なもの。
赤い種
「育てればあなたの憂いを消してくれるわ」
「憂い?」
「貴方、今にも身投げしそうな顔をしてる。いい男がもったいないわ」
商人は軽い調子でそう言って俺の手にその種を押しつけた。
(たすけて…!)
相手はまだ少年だった。俺は容赦なく引き金を引いた。
組織は子どもの人身売買にも携わっていた。俺自身もかつて商品である子どもの一人だったが、ボスの目にとまり組織の一員となった。ボスは俺にとって愛する父となり、絶対的な存在となった。気づけば俺は組織の幹部となっていた。それから妻を娶り娘が産まれたが、5歳で病で死んだ。妻は俺を罵った。子どもの命を売り買いする貴方のせいでアイリは病にかかり死んだのだと。妻は翌日、俺の銃で頭を打ち抜いて死んだ。
俺は血で汚れたシャツをゴミ箱に放り込みシャワーを浴びた。
冷蔵庫からビールを取り出し、リビングのソファーにもたれる。テーブルの上には赤い種。(「その種は人の生き血で育てるの」)
馬鹿馬鹿しい。俺は酒を飲み干し、種をゴミ箱に捨て、寝室に向かった。
翌朝、リビングの隅に少女の姿があった。素っ裸の少女が俺の血で汚れたシャツを被って小さな体を丸めて眠っていた。隣にゴミ箱が転がっている。
「…アイリ…」
母親譲りのゆるくウェーブした金色の髪、白い肌。長いまつげがぴくりと震え、まるで羽化するようにゆっくりと開いた。ふっくらとした小さな手がアイスブルーの瞳を眠たげにこする。
俺は思わず駆け寄って彼女を抱きしめた。
アイリの服はまだ子ども部屋にしまってあった。お気に入りだった水色のワンピースに白いカーディガンを羽織る。鏡の前でアイリはにっこりと笑う。
アイリはアイリのままだった。愛らしく、優しく、清純だった。
うれしかった。
俺の仕事に休みなどない。だが、なんとか時間を作り、アイリを遊園地に連れて行った。
メリーゴーラウンドに乗ったアイリが無邪気な笑顔で俺に手を振る。流れる金色の髪が夕焼けに輝いている。
「…パパ…あたしおなかがすいた…」
繋いだ手をきゅっと握り返してアイリは俺を見上げた。
「何が食べたい?ハンバーグでもオムライスでもなんでも…アイリの食べたいものを言ってごらん」
「パパ」
「え?」
アイリがつぶらな瞳で俺を見つめる。
「パパ」
スマホの画面には人食、蘇り、赤い種のキーワード検索が羅列している。でも、そのどれも的を得たものはなかった。助手席ではアイリが疲れて眠っている。結局、アイリは何も食べなかった。俺は昨日、商人がいた道に行ってみた。しかし、そこにはだれもいなかった。しかたなく、アイリの好物を買って帰宅した。
「アイリ、できたぞアイリの好きなシチューだ」
キッチンからリビングを振り返ると、アイリが床に倒れていた。俺は慌ててかけより抱き起こす。ぼとりと、アイリの腕がちぎれて落ちた。
「パパ…あたし…」
つぼみのようだった赤い唇の半分がただれたように朽ちて、言葉を吐くのもたどたどしい。唇だけではない。その顔の半分の肉が腐れ、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
まるで、ゾンビのように…
「アイリ!俺のかわいい娘…」
昔、聞いたことがある。
「パパ…あたし、本当にかわいい…?」
ゾンビは意識のあるうち、生前一番愛した者を捕食しようとするのだと…
崩れ落ちる頬、飛び出す目、腐臭が鼻を突く。
「ああ、世界で一番、アイリは可愛いよ」
俺は崩れた頬にキスをした。アイリは俺の首に腕を回す。
「ありがとう」
小さな口が頬まで避けて大きく開いた。
「いただきます」
小さな墓には名前が掘ってある。土村ヒトミ・アイリ
あたしはアイリと同じ姿をしているらしい。ぼんやりとお墓を眺めていると背後に気配を感じて振り返る。
「ご協力ありがとう」
その姿は女性のように見えるが青年のようにも見える。
「目論見通り、ゾンビ化した土村シンヤがボスを襲い、組を崩壊させた」
「…そう」
あたしはあの人を知らない。
この得たいの知れない人物から起こされて、あの人の情報を教えられて行動しただけ。
(パパ)
それでも…この骨と、血と、髪の毛の一本一本に残ったアイリという少女の記憶が少しだけ、あたしのないはずの心に小さな感情を灯す。
「…疲れたわ」
あたしの言葉にその人は頷いて、その手を私の頭に置いた。大きくてきれいな手。パパの手にもママの手にも、似ている…
「…ありがとう。お休みなさい」
あたしの肉体は崩れ落ちて、バラバラと骨になって地面に転がる。胸骨のあたり、小さな赤い実がとくんと一度だけ脈打って、干からびた。
END
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