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「灯子、話がある」
結婚10年目を迎えた朝、夫の和巧は神妙な顔をしてそう言った。
私は和巧が何を言うのかすぐに想像がついて、驚きや警戒よりも、ついにこの日が来てしまったかという諦めの方が大きかった。
私と和巧は結婚するまでは喧嘩一つすることなく、カップルにありがちなすれ違いといったことも一度もなかった。そのままあっという間に数年の時が流れ、トントン拍子に結婚をした。
当然、私はこのまま和巧と一生添い遂げるつもりでいたし、彼も同じ気持ちでいたはずだ。
だが、結婚して二年が経った頃、全てが狂い始めた。子供ができない。それも、その原因は私の体にあった。
「話って?」
私は和巧の向かい側に座りながら、あえて自ら切り出すことはせずに尋ねる。
大丈夫だ。声は震えていない。この日が来ることは覚悟していた。
ところが、俯きがちにテーブルを眺めていた私の耳に届いたのは、予想の斜め上を行く台詞だった。
「実は、ずっと君に隠していたことがあるんだ」
「え……?」
「俺は」
和巧が言いかけて黙り込む。つっ、と目を合わせると、今度は彼の方が視線を逸した。そして言いづらいことを口にする時の癖で、唇を舌で舐めると。
「俺は、実はもともとゲイなんだ」
「は……?」
唖然とする私をよそに、和巧は証拠と言わんばかりにそれらしい写真を私に見せる。男性との距離が近いツーショットに、キスシーンまであった。
怒りというよりも、ただ頭の中が真っ白になり、何を言えばいいか分からなくなっている私に、和巧は続ける。
「君と結婚したのは、ゲイである自分を受け入れられなかったのと、親に後押しされたことが大きい。もちろん、君のことは好きだけれど、人として好きだという方が強くて……」
私は彼の言葉を最後まで聞く前に、じわじわと実感が湧いてきて、涙が流れた。ただ静かに泣く私を前にして、和巧は手を伸ばしかけて引っ込める。
「だから、君は」
続けようとして飲み込まれた言葉が、まるで本当に聞こえたように思えた。
君は、何も悪くない。君だけのせいじゃない。
私は和巧の胸に飛び込みたい気持ちを堪えるのに苦労して、泣きながらようやく口にする。
「和巧、ありがとう。私たち、別れましょう」
和巧が何かを言いかけてやめ、一つ頷き、背を向ける。
私は離婚届を取りに行くと告げて家を出ながら、先ほど見せてもらった写真を思い出した。
あれも和巧の優しさなのは間違いなかった。
和巧のことは好きだし、彼も人として私が好きであればこのまま結婚生活を続けることもできただろう。
だが、私はこれ以上一緒にいても自分を責める気持ちを完全になくすことはできない。だから今はただ、彼の優しさに甘えさせてもらおう。
大好きな彼が、誰よりも幸せになることだけを願って、今はただ。
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