始まりのアイコン

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ガチャガチャ、バタン…チャリン 「ただいまぁー」 誰もいない部屋に斜め下に向かってつぶやく。 お気に入りのスニーカーを玄関に脱ぎ捨て、 歩きながらリュックを下ろす。 深めにかぶっていた帽子と、サングラスにマスクも流れるように外して定位置へ置く僕のルーティン。 そしてソファへ倒れるように、ドスンとなだれ込む。この瞬間、全ての視線やプレッシャーから解き放たれる。 ここまでが1セットだ。 今日も仕事はなかなかハードだった。 帰宅した僕の部屋の時計が表示しているのは 『0:20』 まぁ、よくあることだ。 むしろ今日は早い方かもしれない。 覚悟して、自ら望んでやっている仕事だけど最初はキツかった。 今も余裕というわけではないが、人というのは慣れてゆくものなんだな、と実感する。 すると、僕のスマホ画面が明るくなる。 SNSの通知だ。 『ねぇ見た?!0時配信出たよ新曲MV!』 『もうムリヤバい尊い美しいカッコイイ死んだ…♡』 思わずふふっと1人で笑ってしまった。 こんなに疲れて帰ってきても、スマホの世界の向こうでは会ったこともない君が今日も通常営業している。 今日も、全力で推しを愛でて悶えている。 君のSNSのアイコンは、君の推しの画像。 そう、僕たちはお互いの素性を知らない。 ネット上で交流するアイドルファンたちの、よくある光景だ。 僕は最近、そんな君が愛しくて仕方ない。 『今帰宅!未風呂だから、そのあと見たら報告入れる!たくさん期待しているw』 と、一旦返信した。 さぁ、だいぶ遅い夕飯と入浴をささっと済ませよう。 そのあとは僕と君と、その他大勢の仲間たちとの楽しい楽しい時間だ。 僕と君が出会ったきっかけは、共通の推し。 僕は、まだ残念ながら世の中には少数の部類に入る男子アイドルヲタの、男子だ。 君はSNS上で初めて僕と会話した時から、僕が男と知っていて他のヲタ女子たちに対するのと全く同じように接してくれた。 引くわけでもなく、変に興味を持つでもなく、僕たちに共通する"推しへの愛"だけを重要視してくれている空気感に、僕は救われている。 僕たちの会話の中心はどんな時も"推し"である。 仕事や住んでいる場所など君はちっとも聞いてこないし、君のことも語らない。 本当に盲目に推しの事しか見えていない…! そんな君のことを、こんなに愛しく感じていることに気付き、僕たちのこのバランスを崩したのは…… 僕だ。 ある日突然、僕は君に会ってみたいと伝えたのだ。 なんとも思っていないからこその、 「べつにいいよー!」 という君の返事はあまりにも即答で、さすがに僕もスマホを握ったまま苦笑いした。 『駅だとなんとなくどこから来たかわかりそうだから、あえて羽田空港で待ち合わせしよう。それなら君が電車で来たのか飛行機で来たのかさえ分からないだろ?』 自分のことを語らない君に、最大限の配慮をしているように見せかけて提案した。 サバサバした君との約束はあまりにスムーズに決まっていった。 そして、相変わらず慌ただしい毎日を過ごしている僕は、ろくに心の準備もできないままその日を迎えた。 空港というのは独特の空気。 旅立つ人、見送る人、仕事の人、観光の人… そんな中、まさか自分が 『好きな人に会いにきた人』 という理由で空港に降り立つ日がくるなんて… 仕事柄いろんな経験は積んできた方だけど、これは自分でも想定外だ。 もう後にも先にも、こんな無茶する自信はないよ。 フライトに関するアナウンスが、時折流れる。 僕の鼓動が高鳴っているのは、この空気や慣れない1人旅のせいだけではない。 『僕はわりと背が高くて立って待ってると落ち着かないから、先にコーヒー買って席に着いて待ってるね』 と場所がわかる写真を添えて連絡して、君を待つ。 あえて空港にしたのは、実は完全に僕の都合だ。 帰らなければならない時間も計算すると、 それしか不可能だった。 面倒なところに呼んでごめんね、と思いながら君が来るまであと30分もある。 その間僕はそわそわし続けなければならない。 でももし、君も少し早めに来たなら困るだろうしウロウロする訳にもいかず、スマホとにらめっこ。 もうすぐ、ここに君がくる… 今から何をどれだけ話したら、こんなにも君を愛しく思っていることが伝わるかな? 信じてもらえるかな? 僕が覚えた全ての日本語を使って、 この感情を説明できるかな? ちょっと伝わらない部分は、少し翻訳アプリにお世話になるかもしれない。 でもきっと、君なら笑い飛ばしてくれるだろう。 もうすぐ君に会える楽しみと不安で、 とりあえず注文した飲み物なんて、気付けば最初の1口しか飲んでない。 泣かせちゃったらどうしよう… それともただただ驚くのかな? 笑ってくれるかな? あぁでもやっぱり、 僕に会った君の驚く顔が1番楽しみだな。 だって… メガネとマスクの下の僕の顔は、 君のSNSのアイコンと同じだから。
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