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光流岳 12月
風と雪がなぐりつけるように唸っている。
何層にも覆われた重い灰色の空と雪面の境界がぼやけてきた。
体感温度はマイナス10℃を下回っている。
早川駿はヤッケのフードをかぶると紐を強く締めた。
光流岳は永らく登頂不可能とされていた、国内屈指の難易度を誇る岳人憧れの山だ。
まだ12月も初旬だというのに、山頂への中間地点である長三郎小屋はすでに膝下まで雪で埋もれ、一歩ずつ足で掻き分けながら歩かなければ進めくなっていた。
戦友である武の姿はない。彼はいつも率先して、体力の消耗の激しい先頭を願い出た。柔道で鍛えた足腰の強さと体幹を活かし、雪道でもその大きな背中は頼りになった。
いや山行だけじゃない。後輩の指導やルートの手配まで、面倒見のよい武は大学時代の山岳部部員からの信頼もあつかった。
悪天候や積雪で何度も拒まれた冬の光流岳に、山岳部のパーティで初めて登頂した時の喜びは忘れられない。あれからこの山には何度も勝負を挑んできた。
大学を卒業し電力会社に就職した後は、日程に自由がきく単独山行をすることが増えていった。もともと人付き合いが得意な方ではない。ただ山岳部時代の仲間たちとの付き合いだけは大切にしていたつもりだ。
苦しみも楽しさも分け合った仲間との縁を、簡単に絶やすのはためらわれた。
同級生の梓は雪山だけは1人で行くなといつも言っていた。
だが今日だけは1人の方が気楽だった。
梓にも武にも顔を合わせたくない。
「武と結婚するんだ」
梓にそう言われても驚かなかった。
ただ「そうか」としかその時は返事ができなかった。
気がつくと、まつ毛が凍りつき始めていた。
いつまでも止まない吹雪のせいで膝上まで雪で埋もれている。
天気予報では雪を降らせる南岸低気圧は北上し、天候は回復する見込みだった。視界が開ける稜線まで進もうと、ずっしりと肩に食い込むザックを担ぎ直した。
(こんな日は熱々の豚汁があればな)
大きなテントの中で部員とともに食べた豚汁のうまさを思い出す。
山頂手前にある長三郎岩に到着したら、早めの昼飯にしようと決めた。
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