17人が本棚に入れています
本棚に追加
(五)主殿頭という男
「手短に話せ。」
「はっ。大阪市中の荒銅取引にて、出羽の阿仁銅山より出ずる銅が珍重されております。阿仁の銅には銀が多く含まれており、南蛮吹きをもちいて吹けば、たちまち銀塊ができるほどであると。」
「どこから聞いた話だ?」
「大阪長堀町にございます、住友泉屋で働く者より、じかに聞きました。」
「なるほど。出羽の阿仁銅には、やはりいまだに銀が混じっておるのだな。」
平賀源内が進言する。
「恐れながら、もとは金山として名を馳せた土地です。金も含まれておるのではないかと…」
「ふぅむ。阿仁鉱山は3年にわたり公儀御料だったものを、久保田藩に預けたのだ。しかし藩主の左竹殿も少しだらしがない。荒銅の量も増えぬうえ、金銀と銅を吹き分けることもできておらぬとは…源内どのよ、おぬしが阿仁の山に入り、金銀と銅の吹き分けを指南しに行こうか?」
「願ってもないお話でございます。」
「そのようにいたそうか。銅吹き指南をする者のあてがあるか?」
「石見銀山にて指導をいたす山師で、吉田ともうす腕利きがおります。」
「そうか。では左様に。勘定はすべて久保田藩持ちにせよ。もし断るなら阿仁鉱山は上知とする。」
短い言葉ですべての指示が終わった。源内が頭を下げて黙ると、今度は宇七が声をかけられた。
「工藤宇七郎。」
「はっ。」
「わしに仕えぬか?」
「はっ…?」
とつぜんの展開に、宇七は言葉を失った。
「ありがたきお言葉ではございますが…」
「そうだな。心配せずとも、わしにも今のあるじにも、同時に仕えることになる。」
「は、はい?」
言っていることがよくわからないが、それにしても露骨すぎないか?宇七は違和感を覚えた。
ーなんでこのひとは、こんなに偉そうなんだろう…久保田藩の藩邸詰め家老じゃないのか?銅座や銭座を監督する幕府の役人だろうか?
千賀家の主人が、話が済んだとみて宇七に深々と頭を下げ、意味深な挨拶をした。
「工藤宇七郎どの、またすぐにお目にかかることと思います。どうぞよろしくお願いいたします。」
宇七が座敷を出ると何事もなかったかのように、千賀と侍は医者と患者の会話をはじめた。
「本日は拙父をお見舞い頂き、恐縮でございます。せっかくですので、御脈などをお取りいたしましょう、主殿頭さま。」
「そうか、たのむ。」
家敷を出ようとした宇七を、福助が見送りに出てきた。立ち去ろうとする宇七に、福助が数歩ついてくる。福助にしては珍しいことだ。
「お元気そうですね。」
「ええ…亀次郎が、お世話になって…」
「いろいろありましたが、今は水野家の女中部屋にかくまわれています。話がしたければ、時間のあるときにいらしたらいかがであろう?」
宇七は思わず誘いの言葉を口にしてしまった。福助と目があった宇七は、亀次郎のことをもっと聞かなくては、と思うが、焦ってうまく言葉が出ない。
「亀次郎どのは…その…育てたのは…」
「亀次郎を、どうぞよろしくお願い申し上げます。」
福助が黙ったまま礼をした。それは静かで美しい、宇七が見たことのない、丁寧な別れの所作だった。
「失礼いたす。源内先生によろしく。」
後ろ髪をひかれるような思いを感じながら、宇七は藩邸への帰路についた。
最初のコメントを投稿しよう!