29章 江戸の大火と秩父の山師

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29章 江戸の大火と秩父の山師

(一)山師平賀源内と金山上知 千賀邸には、平賀源内もいたことを宇七は思い出す。 「千賀邸には、田沼さまだけでなく、源内先生もいた。」 「千賀さまは田沼さまの古い友人で、御公儀の鉱山開発を率いています。そのため有能な蘭学者、蘭方医を自邸で世話し、田沼さまと繋いでいます。源内先生もそのひとりでしょう。」 「源内先生のとは、おそらく田沼さまなのだろうな。」 「そうでしょうね…田沼公は山師を日本中に派遣し、有望な鉱山の上知(あげち)をおこなっていますから。金銀銅が出る土地だとわかれば、だいたいがご公領として上知されます。今回の銅座密偵も、阿仁銅山の召し上げの前振りでしょう。」 源内が山師として鉱床に入り、ここには金銀銅の鉱脈がありそうだと言えば、大名領の召し上げが行われる…まるで上知の先鋒隊だ。 「亀次郎さんが言っていたんだが…源内先生は幕府の有力者の醜聞をにしたみたいだ。」 「え?」 「今から10年ほど前に、歌舞伎界の看板役者が、泣く子も黙る有力者に無理やりに身請けされた事件がおきた。福助どの…つまり、瀬川菊之丞が狙われたが、歌舞伎界もさすがに若い看板役者を手放せず、荻野八重桐という身代わりを立てたそうだ。源内先生は、これを根南志具佐(ねなしぐさ)という戯作としてすっぱ抜いたと、亀次郎さんは信じている。」 大名は上げ知を恐れ、ご公儀の山師を領内の鉱山に入れたがらない。だから源内が閻魔大王の醜聞を戯作として世にバラまいて、それをネタに力づくで入っていった…? 「うーん、頭から信じるわけにも参りませぬが、源内先生がご公儀の山師を始めたのはちょうどその頃ですね。このあいだご一緒に行った秩父三峰山にある、中津川鉱床のことかと思います。」 「領地を召し上げられた秩父の大名は誰だろう?それが閻魔様かも、と亀次郎さんは言ってたんだ。」 「…お待ちください、少々頭の中を整理いたします…秩父の中津川鉱山を治めていましたのは、川越藩の萩元氏です。中津川鉱山も、源内先生が鉱山開発をして、金がでるようだとわかり、上知(あげち)となりました。つじつまはあいますね。川越藩は今や、まるごとご公領です。」 「源内先生を山師に迎えたために、萩元氏は虎の子の金山も、領地も取られたのか。」 「まぁ、そうなりますね…。」 萩元氏の川越藩治世は50年におよび、川越の地を富ませた名君として民に敬われていたそうだ。しかし中山道伝馬騒動の責を問われ、明和4年(1767年)には出羽秋田藩へと転封された、と新之丞が続ける。
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