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(二)田沼公の権謀術数
「だが金銀が出そうな山だからといって、いきなり召し上げるのは酷い。そのうえ転封とは。」
恨みを買いそうなことをなぜするのか、と宇七がいぶかる。
「…川越藩主だった萩元公と田沼さまは、2才しか年が違わず、ずっと出世を競い合っていました。田沼さまは御側衆だったため、皆の面前で怒鳴りつけられたこともあったそうです…大藩の名主に、挨拶の仕方を知らんのか!と。」
「それは大人げないな。」
「しかし萩元公は10年ほど前に老中職を辞し、隠居されました。入れ替わりに田沼さまが老中格となられた。萩元公は川越藩から山形藩へ転封された…「それ、左遷ぽいよな。」
田沼公が政敵の萩元家を嫌い、北関東の水陸の要衝である川越藩とその莫大な権益を取り上げるのは当然の流れだったろう。
川越藩転封の理由となった中山道伝馬騒動は、幕府による助郷村への長年の締め付けと、商人による搾取が遠因だ。それを都合よく萩元氏のせいにして、川越から追い出したともとれる。
「新之丞どの、この話、どうやら江戸の大火もひと続きに繋がっている気がする。目黒大円寺に火を放ち、江戸の半分近くを焼いたのは一揆の処罰を恨む武蔵国の民だと思っていたが、田沼公を恨む殿様も、一枚噛んでいそうだな。」
宇七が気まずそうに話を切り上げた。
「…これはかなりまずい話だな…やめておくか。」
「…今はやめておきましょう。閻魔大王といえば、江戸にはさまざまな閻魔堂がございますので、決めつけるのもよくありませぬ。」
「小石川にも目黒にも深川にも閻魔堂はあるしな。」
宇七が部屋を出て行き、新之丞は考え込んだ。
ー憧れていた蘭学者の源内先生だが、どれほど深くご公儀の政略に関わっているのか…?
源内の動きの後ろには、田沼意次の権力闘争と権謀術数があり、川越藩転封と中津川鉱山の上知、江戸の大火、そして自分たちが伊賀で襲われた理由までも、ひとつに結びついてくるようだ…?
とつぜん、宇七がふたたび新之丞の部屋にひょこりと顔を出した。
「そういえば、伊勢の小豆太夫から新之丞どのに文が来たらしいですぞ。…仁左衛門どのが渡さないとは思うが。」
「えっ…お豆さんから…⁉」
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