17人が本棚に入れています
本棚に追加
(六)平賀源内の尻持ち
瀬川菊之丞はこれからという役者だったから、いま菊之丞を連れていかれたら一大事とばかりに、興行師連中がなんとかまとめた身代わり取引だったという。
荻野八重桐は女形ながら妻子持ちで家族思いだったため、役者仲間からもずいぶん気の毒がられたと亀次郎は言う。
それにしても引退興行すらできないで行方不明とは…どれほどせっかちに迫ったか、想像できようというものだ。
「…誰だい?そいつは?」
「あたしも知らないんです。でも、誰も逆らえないぐらい力があった人じゃないかしら。」
「だが、自分の秘密を握られていると知った閻魔大王も黙ってないだろう?」
「うん、源内先生は閻魔大王も、脅したんじゃないかしら。だって、根南志具佐が江戸に出まわった翌年、ご公儀の山師を始めたんですって。あんまり出来過ぎじゃない?」
「だとすると、そうとうな有力者を脅したことになるな。」
「だって、閻魔大王ですもの。」
ー平賀源内という男は、たんなる蘭学者である以上に、きな臭い存在なのかもしれない…
太陽が少し陰った。亀次郎が寒そうにしているのに気付いて、宇七は上着を脱いで渡す。
「亀次郎さん、これを着ろよ。」
「ありがとう…宇七さんはやさしいね。」
「そうでもない。」
「あたしがあにさんだったら、すぐに宇七さんの寝床に忍び込んでやるんだけどなぁ。」
「俺はそんなに簡単に落ちんぞ。」
いや、俺は簡単にころっといくだろう、と心中では思っていた。あの福助に本気で迫られたら、落ちない男はいないのではないか。源内が脅してまで自分のものにしたのもわかる。
「福助さんはやさしいのかい?」
「ええ。あにさんは、あたしのお母さんでお兄さんで…いっとう好きなひとなの。」
「そうか。」
お七さんを押し付けてしまったのもあるし、福助のためにも亀次郎をなんとか守ってやらないといけない…宇七は亀次郎の横でふたたび釣り糸を垂れた。
船倉から、新之丞が亀次郎を心配して呼ぶ声がする。
「そろそろ、戻ったらどうだい?」
「うん。ありがとう。」
亀次郎は着物を宇七に返すと、船倉に戻っていった。空は夕暮れはじめていた。
最初のコメントを投稿しよう!