(10)手のひらの上

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 高嶺(たかみね)(じん)の執務室で婚姻届証人欄に半ば無理矢理サインをさせられた後、総務課長の風見(かざみ)斗利彦(とりひこ)は、尽からふたつのことを約束させられた。  ひとつ、玉木(たまき)天莉(あまり)と自分との関係については、尽から報告があるまで誰にも漏らさないこと。  ひとつ、社員に割り振られた仕事に関しては、無闇に他の社員に振らないこと。  風見は尽の個室を一人追い出される形で総務課へ戻るべくエレベーターを待ちながら、心の中で思いっきり毒づいていた。 (何だ、私を早々に追い出しておいて! 自分は昼間っから恋人とイチャイチャするつもりか⁉︎)  実際は執務室には秘書の伊藤直樹も残っているので、淫靡(いんび)なことにはなりようがない。  そんなことは百も承知だったけれど、自分より優に一回りは年下だろう高嶺(たかみね)(じん)に、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされたことがどうしても納得いかないのだ。 (江根見(えねみ)部長ならどうにかして下さるんじゃ)  営業部長の江根見(えねみ)則夫(のりお)は立場的には自分以上、常務取締役の尽よりは下。  だが、老獪(ろうかい)な紗英の父親には、常日頃から一人娘への便宜(べんぎ)を図っているし、何なら恩だって売ってある。  考えてみれば、そのせいでこんなことになったのだ。  少しぐらいあの若造に一矢報(いっしむく)いる手助けをしてはくれないだろうか。  そんなことを(こいねが)ってしまう。 (私は江根見(えねみ)父子(おやこ)だって知っているしな)  それをチラつかせたら、少しは有利に交渉出来る気がした。  それに――。  考えてみれば、玉木天莉(あの女)だっていけ好かないではないか。  馬鹿みたいに自分の言うことをよく聞く、クソ真面目で従順なだけが取り()の女だと思っていたのに、とんでもない女狐(めぎつね)だった。
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