(2)体調不良が招いた出会い

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「こら、急に動くやつがあるか」  それと同時、横からスッと伸びてきた(たくま)しい腕に身体を支えられた天莉(あまり)は、落ちそうになったのを引き留められ、再度ソファーへ横たえられたのだけれど。  残念ながらジャケットの方は床へ落ちてしまった。  え?と思う間もなく、頭上から見下ろされる形で視界に飛び込んできた、どこかオリエンタルな雰囲気を漂わせる美丈夫(びじょうふ)の姿に、ドキッと心臓が飛び跳ねる。 「た、かみ、ね……常、務……!?」  つぶやいて慌てて身体を起こそうとしたら、視線だけで制されてしまった。  高嶺(たかみね)(じん)――。  そんな名を持つ目の前にいるこの男のことを、天莉は知っている。  日常業務全般を管理する常務取締役。  他の役付き達が五十代以降ばかりと言うなか、三十代半ばという壮年で現在の地位まで昇り詰めていることからも実力のほどが知れる、言わば我が社のホープ。  現場に近い立ち位置で、社員らを指揮することで社長を補佐する、自分たちにとっての最高責任者的存在の男だ。  実際に話したことはほとんどない雲上人だけれど、恐らく社内で高嶺尽のことを知らない人間はいないだろう。  そんな尽の、ワイシャツ+ベストにスラックスだけというどこかラフな姿を、天莉は今まで一度も見たことがなかった。  それはきっと、天莉が尽の上衣(うえ)を借りてしまっていたからに他ならない。  床へ落ちた上着を拾い上げて、数回軽く(はた)いてから、衣擦れの音さえも優雅に羽織った尽の姿を目の端で追いながら、天莉は呆然とそんなことを思う。  すっかり身支度を整えた尽が、メタルフレームの眼鏡越し、猛禽類(もうきんるい)彷彿(ほうふつ)とさせる切れ長の目で探るように天莉を見下ろしてきた。 「……あ、あの……申し訳ありません」  消え入りそうな声音で告げた謝罪が、尽のスーツを落としてしまったことに対してなのか、急に動いたことを(とが)められたことに対してなのか、天莉は自分でもよく分からなかった。
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