(12)初めまして。常務取締役をしております高嶺尽と申します

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『エレベーター付きとは言え五階まで上がるのはねぇ。何かあったとき階段しか使えなくなるのを考えたらしんどいでしょう? それに――』  そんな言葉と共に続けられた新居候補の便利そうな立地と、に、天莉(あまり)は完全にほだされてしまったのだ。 *** 「ほら、早く玄関を閉めないと。バナナが出てきたぞ」  寿史(ひさし)の言葉と同時、スルリと父親の足元を、母が平家に住みたがったもう一つの理由――茶トラ猫のバナナがすり抜けてきたから。  天莉は思わず(じん)の手を引いて土間(なか)に引き入れると、背後の引き戸をピシャリと閉ざした。 「天莉……」  実家の愛猫の逃亡という一大事を回避できたことをホッとしたのも束の間、すぐそばから嬉しげにうっとりと尽から呼びかけられた天莉は、バナナと名付けられた猫を逃したくない一心で、無意識に尽の手をギュッと握ってしまっている自分に気が付いて真っ赤になった。 「ひゃっ! ごっ、ごめん……なさっ」  ゴニョゴニョと尻すぼまりに告げられた謝罪に、尽が「どうして謝るの?」と天莉にだけ聞こえる小声で耳打ちしてきて。  耳朶(じだ)を尽の吐息とバリトンボイスに(かす)められた天莉は、ますます茹でダコみたいに赤くなる。  なのに――。 「失礼します」  そんな天莉をよそに、尽が礼儀正しく両親に声を掛けるから。  今そんなことをされたら赤くなってるの、バレちゃうじゃない!とか勝手なことを思った天莉だ。  だが、幸いにして両親はバナナに気を取られていて、そんな娘の様子に気が付くことはなくて、「どうぞ」と愛猫に視線を落としたまま声が返る。  それを確認して、耳を押さえてキッ!と尽を睨んでから、天莉は慌てて尽から距離を取るようにして靴を脱ぎ捨てると、代わりに用意されていたスリッパを突っ掛けた。  と、すぐさましゃがみ込んだ尽が、天莉が今脱いだばかりの乱れたパンプスを綺麗に揃えて並べ直してくれて。  さすがにお行儀が悪かった!と反省したと同時、自分のすぐそば、(ひざまず)く格好になった尽から見上げられて、天莉はドキドキが収まらない。
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