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そんなことをしても後の祭りだというのは分かっている。
分かっているけれど、天莉はそうする以外に何も思い付けなかったのだ。
そんな天莉の迫力に驚いたのか、今まで頑なに尽のひざの上から退こうとしなかったバナナが、慌てたように飛びのいてしまう。
だけど、そんなことにも頓着していられないくらい、天莉の心は千々にかき乱されていた――。
「私……私……」
自分のせいで尽との結婚が――ひいては〝偽装の契約関係〟が御破算になってしまったと気が付いた天莉は、ショックで上手く言葉を紡げない。
尽は、そんな天莉をそっと抱き寄せると、天莉の耳元。静かな声音でそっと問いかけた。
「ねぇ天莉。お願いだからさっきの言葉は嘘だって言って?」
「さっきの……言葉?」
尽の懇願するようなバリトンボイスが、天莉の中へゆっくりと浸透してくる。
両親の目の前で尽に抱き締められていて……。
そんな二人のただならぬ空気感を、父母が何も口を挟めずに固唾を呑んで見守っていることにも気付けないまま。
天莉はつぶやくように尽の言葉を反芻した。
「俺への気持ちは……本当に横野以下?」
尽にそう付け加えられた天莉は、あの言葉が思いのほか尽を傷つけていたのだと、今更のように気付かされて。
「そんなわけ……ありません。私の中で常務は……もうとっくの昔に博視なんか足元にも及ばないくらい大切な存在になっています。……嘘をついてごめんなさい。傷つけてごめんなさい。私、ただ……不安だったんです」
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