(14)あの場で婚姻届を出さなかった理由

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「本当はね、あれは予備だったんだ」  実家から(じん)のマンションに帰って来てすぐ。  尽はスーツの内ポケットから、無残に破られた書類とともに、無傷な書類を手渡してきた。 「もしもの場合に備えて一応、ね?」 「えっ?」  尽から受け取ったのは、どちらも見覚えのあるモノトーン調の猫柄の婚姻届で、破れた方は白紙。  無事な方には天莉(あまり)と尽が一緒に書いた署名捺印がしっかりとあって。  尽はあの時、三人の目の前であえて白紙の方を破ったらしい。  その事実を突きつけられた天莉は、戸惑いを隠せなかった。 「じゃあ、どうして……?」  素直になり切れなかった天莉から、本音を引き出すためのデモンストレーションで予備の方を破り捨てたのだとしたら、全ての話が丸く収まった後で、いま天莉が手にしている方を取り出しても差し支えなかったんじゃないだろうか。  天莉は、てっきり尽が破ったものがいま無事な方で、あれ一枚こっきりしか婚姻届は用意されていなかったと思っていたから。  だからあの場はそのまま天莉の両親へ〝結婚の許しを得る〟というごくごく普通の顔合わせのみで退去したんだろうと解釈していたのだ。  だが、違ったらしい。 「――本当に理由が分からない?」  尽に小さく吐息を落とされて、天莉はますます混乱してしまう。  尽の真意が知りたくて、分からないなりに手元の書類をじっと見つめて、アレコレと考えを巡らせて。  そうして一つの結論に行きあたった天莉は、愕然(がくぜん)として項垂(うなだ)れた。  もしかして、尽は天莉と結婚したくなくなったのではないだろうか。  だから、土壇場になって記入済みの書類を取り出すのをやめたのでは?  そう思い至ったら、やはりあの場で尽のことを本気で好きになってしまったと告げてしまったことがいけなかったのではないかと思い至った天莉だ。
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