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大きめの会議机を挟んでいても、浅田夫妻と江根見紗英との間にはピリピリとした空気が流れている。
「江根見紗英さん、先日、そちらにいらっしゃる貴女の婚約者の横野博視さんへはお話させて頂いたのですが、貴女がうちの主人・浅田富士雄と不貞行為を働いている証拠をわたくしが持っていることはご存知ですか?」
眼鏡越しにまっすぐ、真正面に座る紗英を見詰める浅田医師の眼差しには、静かだけれど明確な怒りが感じられた。
腰まである少し白髪の入り始めた黒髪を、飾りっ気のない黒いゴムで一つ結びにした浅田医師は四十路半ばくらいだろうか。
お世辞にも外見に気を遣っているようには見えなかったが、患者には真摯に向き合って来たんだろうと言う雰囲気が、そこはかとなくにじみ出ている女性だった。
顔の真ん中で存在を主張する太めの黒ぶち眼鏡が、野暮ったさに拍車を掛けているように見えるけれど、きっと眼鏡を外せばかなりの美人だろう。
だが、今はそんなことどうでもいい。
ぱっと見は大人しそうなその女性が、静かな声音で問い掛けているにも関わらず、全身から怒りのオーラが感じられることに、尽は密かに戦慄した。
日頃大人しい人間と言うのは、怒らせると怖い。
まさに、いま目の前にいる浅田医師のように。
「江根見紗英さん、黙っていらしては分かりません。――婚約者の横野さんからはその辺りのお話はすでにお聞きになられたかしら?」
何も答えない紗英に焦れたように浅田医師が言葉を重ねて。
今まで黙って座っていた江根見則夫が、「お言葉ですが浅田さん、それは……うちの娘のことを隠し撮りをなさっていたということですか?」とどこか責めるような調子で口を挟んだ。
(貴様がそれを言うか……)
散々女性たちが凌辱されている現場を隠し撮りしておいて、どの口がそれを咎めるのだろう?
そう思った尽の冷ややかな視線を黙殺して、浅田医師を見詰める江根見則夫は、やはり相当に性質が悪い男だ。
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