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「ああ。彼女は私の婚約者です。実は出先で体調を崩しましてね。ひとりの家に帰らせるのも心配なので連れ帰ってきました」
とか。
(高嶺常務っ! 何をいけしゃあしゃあと訳の分からないことを仰ってるんですかっ!)
しかも一人称がよそ行き仕様の〝私〟になっていることにもゾクリと背筋が寒くなった天莉だ。
こんな風にして高嶺尽と言う男は、いとも容易く嘘を真実にしてしまえる人なんだろう。
それはビジネスシーンではかなり有能な手腕に思えたけれど、プライベートで……しかも自分を巻き込んで発揮されたとあっては看過出来ないではないか。
(何だかよく分からないうちにどんどん話を進められてる……よう、な……っ!?)
『キミを娶りたいと思っている宣言』からさして時間は経っていないと言うのに……。
ものの数十分で見る間に外堀を固められている。
このままでは完全に退路を断たれるのも時間の問題かも!?と別の不安まで脳裏をよぎってしまった。
なのに、『違います! 婚約者なんかじゃありません! 私、ただの部下です!』と声を張り上げるのもただただ話をややこしくするだけな気がして、結局何も出来なかった天莉だ。
そんなことを言おうものなら、『では何故そんな体勢に?』と思われるのは必至だったから。
「ああ、そうなのですね。それでそのような……」
ほう、と吐息をつく気配とともに、コンシェルジュがあっさりと納得してしまった。
(コンシェルジュさん、そんなすぐに納得しないで下さいっ! もっと疑って!)
焦る余り、天莉は非難の矛先を罪もないコンシェルジュに向けてしまう。
「婚約者様が大変な折、お引止めして申し訳ありませんでした。――一刻も早く休ませて差し上げて下さい」
「有難う。そうさせてもらうよ」
天莉を抱き上げたまま、尽が再び歩き始めて。
エレベーター前で操作パネルを押した尽が、箱が降りてくるのを待ちながらコンシェルジュに見えない角度でククッと喉を鳴らしたのが分かった。
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