(9)貴方にだけは知っておいて頂きたい

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(起きなきゃ……)  心裏腹。  身体は天莉(あまり)の意志に反してちっともいうことを聞いてくれない。  そうこうしている内に外からノックの音がして、「天莉、朝だけど……起きてるかい?」と声を掛けられた。 「……ぉ、きて、……す」  その呼びかけに答えたつもりの声は、自分の耳にも聞こえるか聞こえないかの弱々しさで。  ドア越しの尽に聞こえるとは到底思えなかったから。  天莉は少し考えて、手に握りしめたままのスマートフォンに目をやった。  ノロノロと立ち上げてみると、画面には『たかみ』まで中途半端に(じん)苗字(なまえ)を打ち込みかけたままのWebブラウザが表示されていて。  それをホームボタンを押して落とすと、昨夜婚姻届を書いた後、交換したばかりの尽の連絡先をそろそろと呼び出した。  力の入らない指で何とか『高嶺(たかみね)(じん)』の箇所をタップしてコールし始めたと同時、ドアの外でブーブーとバイブレーションの微かな気配がして。 『――もしもし?』  ドア越しと電話越し、重なるように尽の声が聞こえてきた。  天莉は出にくい声を懸命に絞り出して「高嶺常務(た、か……ね、じょ、む)、ごめ、なさ……」と開口一番謝罪から切り出す。  体調不良で起き上がれそうにありません、と続けたいのにうまく声が出せなくて、いがらっぽさに言葉半ばでケホケホと咳込んだ天莉は、自分の不甲斐なさに泣きそうになった。  だが尽は何かを察してくれたみたいに『ねぇ天莉。部屋のドアを開けるのを許してくれるかい?』と問いかけてきて。  天莉が何とか「は、い……」と答えたら『ちょっと待ってて? マスターキーを取ってくるから』という言葉を残して通話が終了する。  ツーツーと耳に当てたままのスマートフォンから機械的な音が聞こえてくるけれど、通話ボタンをタップしてそれを終了させるのさえ億劫に思えて、そのまま手にしたスマートフォンを枕元に落とした。  と、程なくして外からドアを開錠する音がして、扉が開かれて。  すでにスーツに着替えて完璧な見た目の尽が、部屋に入ってきた。
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