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いやしくもトスカーナの最高学府・ピサ大学の一員たる者、早朝行われるミサへは必ず出席しなければならない。
信仰の知識があらゆる学問に優先する16世紀後半=1582年4月のイタリアにおいて、それは当然の理と言えよう。
当時の学生が受け入れるべき面倒な慣習なら、他にも山程ある。
例えば聖堂の巨大なシャンデリアは、早朝ミサの間際、一旦床まで降ろして30本もの蝋燭へ火を灯す決まりだ。
さ~て、今日はどれ位、僕の貴重な時間を無駄にしてくれるやら?
シャンデリアの点火作業を聖堂最後尾の席から眺め、学芸学部(今で言う教養学部)一年生のガリレオ・ガリレイが呟いた。
彼はこの時、18才。
低収入の音楽教師に甘んじる父・ヴィンチェンツィオの期待を背に、医者を目指してピサ大学へ入学したのは昨年の秋である。
中途で入った割に成績は悪くない。
いや、むしろ万物を合理的に捉え、考え抜くガリレオの知性は、教師達の注目を浴びつつある。
宗教学においても、ディベートで負けた事は一度も無かった。
医者への道は順風満帆。だが、再び天井へ上がっていくシャンデリアを見つめる瞳は妙に虚ろだ。
灯火が緩やかに揺れる光景と、その際に生じる軋みが、毎夜の読書で寝不足の彼を眠気へ誘っているらしい。
右から左にキリキリ、又、右に戻ってキリッ……
音の間隔は、大体同じ位か?
あぁ、何か重要な真実が、あの動きの中に隠されている気がするのだけれど?
曖昧な思考は眠気覚ましの役に立たない。
ガリレオの目蓋が閉じかけた時、誰もいない筈の隣の席から耳元へ囁く声がした。
「シャンデリアが揺れる幅の大小に関わらず、往復に掛かる時間は常に一定である。揺れの周期に必要な時間は、吊り下げる鎖の長さだけで決定される」
ハッと目を開くガリレオに、声の主は悪戯っぽい笑顔を向けた。赤毛の長髪を後ろで束ね、ガリレオと同世代か、或いは若干年下に見える。
「君……君は、誰だい?」
「僕の名はサグレド。君と同じ、真理を求める学究の徒さ」
「サグレド、さっきの言葉が気になる。もう一度、繰り返してくれないか?」
「フフッ、その必要は無いよ」
「何故?」
「振り子の等時性は、いずれ君が誰の力も借りず、見つけ出す法則だから」
「僕が? それは一体どういう意味!?」
困惑の余り、つい声が大きくなって、周囲の顰蹙を買ったらしい。
冷たい視線が突き刺さり、背中を丸めたガリレオへ、又、サグレドがそっと囁く。
「良いじゃないか、君、そう周りに気を遣わなくても」
「退学になれば、父さんが悲しむ」
「でも、ここで学ぶ医学に、君自身はもう興味を失っているよね」
サグレドはソバカスの目立つ童顔を傾げ、キラキラ光る眼差しで、ガリレオの顔を覗き込んだ。
「患者が手に負えないと見るや、神の思召しで片づける無知蒙昧。聖書と目の前の現実が一致しない時、現実の方を教義に合うまで捻じ曲げる理不尽。その辺の馬鹿らしさが、君、もう骨身に染みている筈だぜ」
「……誰にも話していないのに、僕の悩みを何故知ってる!?」
又も張り上げた大声は、祭壇で十字を切る司祭にまで届き、その唇に人差し指が当てられた。
前列の教師が赤い顔で振返る。ミサを騒がす不届き者へ、今にも天誅を下しかねない迫力だ。
「ふむ、どうやら僕ら、一先ず聖堂を出た方が良さそうだね」
「ミサの途中で、抜け出せる訳無いだろ? 正門の扉は閉じられてるんだぞ」
ニヤリとしてサグレドが指を鳴らす。
すると二人を取り巻く光景は蜃気楼の様にぼやけ、揺らめいた。
眩暈を感じた数秒後、ガリレオは、聖堂表にあるドゥオモ広場のベンチへ腰掛けている己に気付く。
「僕は……僕、何時の間にここへ?」
「空間を転移したのさ」
隣のサグレドは何事もなかったかの様に、淡々と言い放った。
「空間や時間は今、君が感じている通りの物とは限らない。歪み、折れ曲がって、意外な場所へ繋がる事も有る」
「……もう一度、言ってくれ。君の言葉も目の前で起きた現象も、何一つとして僕には理解できない」
地中海沿岸に位置するトスカーナ地方の眩い陽光を浴びながら、ガリレオは俯き、表情を翳らせた。
奥歯を強く噛み締めている。
なまじ知性に誇りを抱き、磨き抜いてきた分、思考の及ばぬ状況に耐え難い屈辱を味わっているのだろう。
その顔を暫く見つめ、サグレドは大きく頷いた。
「やっぱり流石だね、君は」
「これ以上、馬鹿にしないで欲しい。僕は君に白旗を掲げ、説明を乞うたんだぞ」
「その知識へ向う貪欲さに感嘆している。少なくとも、神の御名に縋り、無知を隠蔽しようとはしない」
「当たり前だ」
吐き捨てる様にガリレオが言う。
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