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静寂に包まれた真っ暗な山道。街灯もない道にはただの闇が広がっている。時折走ってくる車のライトだけが光を放ち、真っ暗な暗闇を照らす。そして、そのエンジン音を暗闇に響かせる。
トンネルの手前で一台のタクシーが止まる。後部座席のドアが開き、僕はタクシーに乗り込む。
乗り込むときに運転手の顔をチラリと見る。どこにでもいるおじさんの顔。おじさん運転手は軽く後ろを見て僕が乗ったのを確認してから、大して愛想のない顔で言う。
「じゃあ出発しますから、シートベルトを閉めてくださいね。最近、ルールがうるさいんで」
僕は言われるがままにシートベルトをして、座席の背もたれに身を委ねる。タクシーはエンジン音を鳴らし、ゆっくりと出発する。動き出したタクシーの振動に揺られながら僕は窓の外を見る。
窓から見える風景は夜の山道だからか、いくら移動しても大して変わり映えしない。暗くて黒い景色が次々と映されるだけ。
僕はふと、あることに気づく。運転手に話しかける。
「あの……そういえば僕、行き先を言ってないんですが」
僕が何も告げていないのにタクシーはそのまま出発した。
「ああ。大丈夫ですよ」
なんの問題も無さそうに運転手は答える。
何が、大丈夫なんだ。
そのまま運転手は言葉を続ける。
「行く場所は決まっているので」
決まっている?そんな訳ないだろ。何も言ってないのに、勝手にどこに行く気だよ。
……。
あれ……でも、僕はどこに向かうためにこのタクシーに乗り込んだんだ?そもそもなんでタクシーになんか乗っているんだ?
さっき、目の前でタクシーが止まった。ドアが開き、僕はそのまま当たり前のように、導かれるようにそのタクシーに乗りこんだ。
僕は頭を抱え込む。
どうしてだ。分からない。何か思い出そうとすると頭にもやがかかったようになり、うまく思い出せない。
「このタクシーはどこに向かっているんですか?」
どこに行くのか不安で、恐る恐る聞いてみる。
「ああ、気づいてしまいましたか。そのままでもよかったのに……」
前を向いて運転を続けたまま運転手が淡々と言う。
バックミラーごしに運転手の顔を見ようとすると、運転手と目が合う。運転手もまたバックミラー越しに僕を見ていた。
「行き先は三途の川ですよ」
一言、言い放つ。
「三途の川?……それって死んだ人が渡ると言われている川の名前ですよね?それとも同じ地名のところですか?」
「お客さんが仰ってる三途の川で間違いないですよ。……お客さん死んでますからね」
「死んでいる……?」
何を言っているんだ。この人は。
「あの山道のトンネル、幽霊が出るってすごい評判になっていてね、行ってみたら案の定お客さんがいたんですよ。お客さん、他県まで話が行くくらいに結構有名人ですよ」
幽霊……僕が?
「私らはね、お客さんみたいにこの世に迷子になっている幽霊をタクシーに乗っけて三途の川に届けるのを仕事にしているんですよ」
死んでいる?
僕はなんで死んだんだ。
そのとき、僕の心を黒い感情が占拠した。ベットリとした黒さが胸の中一面塗りつぶす。
そうだ。これは死んだ時に感じた苦しみだ。死んだ時に感じた、悔しさや、虚しさ。
……あいつらへの恨み……っ!
あいつらへの恨みが巨大な波のように襲ってきた。
そうだ、このまま乗っていられない。あいつらにっ……あいつらに仕返しをしないとっ。
「降ろせっ!まだだっ!まだだ!まだ僕は……っ!」
前の座席と後部座席の間は透明な板でしきられている。僕はその板を力一杯叩きつける。バンッバンッという音が車内に響き渡る。
運転手は少し嫌そうな顔でこちらを一瞬見て、そのまま運転を続ける。
「やめときなさいって。もうそんなことしたって何にもならないんですから。罪のない人に被害がでるだけですよ」
僕の怒りは止まない。
「じゃあ、この怒りはどうしたらいいんだ。あいつらは……あいつらはっ……」
「もう死んでますよ」
その運転手の言葉により怒りが、黒さが、増す。
「なんでお前に分かるんだ」
タクシーがブレーキをかけて止まる。運転手がゆっくりと後ろを向いて僕を見てくる。
「私の顔に見覚えは?まぁ、私も随分とおじさんになりましたからね。面影も残っていないでしょうかね」
顔……?
こちらを向いた運転手の顔をよく見てみる。しわが刻まれたおじさんの顔。集中して見ると、そこから一つの顔が浮かび上がる。
「お前……田村かっ……?」
随分老けてはいるが、面影がある。それは僕がずっと恨んでいた顔の一つだ。
「そうですよ。ただ、いくらあなたが恨んだところでもう私も死んでしまっていますからね。残念ながら。あれから何十年も経っているんですよ……他のみんなももう死んでいます」
「嘘だろ……」
そんなに時が過ぎていて……しかももう死んでいるなんて……。
急に怒りをどこにぶつけていいのか分からなくなって、体から力が抜ける。
いや、恨んでいた相手はこいつなんだからこいつをもっと責め立てても……。
……どうしてだろう。こんな年老いた顔のこいつでは怒りをぶつける気にはならない。
あぁ、そうだ。そもそも僕はそんなに怒るタイプの人間ではなかったのだ。死んでから彷徨った時間が僕の恨みや怒りを歪ませていったのかもしれない。
今はなんだか、全てがどうでもよくなってしまった。
僕は気が抜けて昔は田村であったおじさんに疑問を投げかけた。
「お前……なんでこんなことしているんだ?」
「私はね死んだ後、地獄に落とされましてね。この仕事は地獄に落とされた人間の仕事なんですよ」
「地獄に落ちた奴はタクシー運転手になるのか?なんか想像している地獄と違うのな」
「昔はあなたが想像しているような地獄だったみたいですが、時代は変わったんですよ」
「ふーん。よくわからないけど、そうなんだ。お前、何で地獄になんて行ったんだ?そんなに悪いことでもしたのか?」
そう聞くとおじさんは一瞬止まりとまじまじと僕を見つめる。
「……あなたが死んでるじゃないですか」
「僕……?」
「現実世界では私らのしたことは罪にはなりませんでしたよ。でも、お天道様はちゃんと見ているってことですかね。……あなたを死なせてしまった罪を私は償っているんです」
僕を死なせた罪……。確かに彼らは僕に直接手を下していない。でも確かに彼らは僕の死の一因であった。
「ちゃんと見ている奴もいるんだな」
もう死んではいるのに少しだけ救われた気分になる。
「ええ、だからもう行きましょう。三途の川に着けば、あなたは新しい命として再生されるところに行けますから。そこからまた生きて、やり直しましょう」
「そうなんだ」
「納得して頂けましたか?じゃあ、出発しますよ」
「うん……」
返事はしたものの、納得が出来たのかは分からない。でも、もうあそこにいてもしょうがないことは分かった。だから僕はもうこのまま乗っていくしかないのだ。この先の何かを求めて。
それは……。
行き先なのか。
逝き先なのか。
生き先なのか。
タクシーはゆっくりと静かな暗い山道を走る。僕はタクシーに背負われながら、また何も映らない真っ暗な窓の外をぼんやりと眺め続けた。
車のエンジン音と振動が体にやたらと響いて感じた。
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