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第3話(その3)
「新聞に出ていました。日本では大勢がSuicideで死ぬと……」
「まあ……Suicideというより、Kill oneself の方かも知れない」
「そうですか……。でも日本のような裕福な国で、なぜ――」
「ああ……それは、確かに。ただ私にも、その答えは難しいね」
「この辺では、十ドルや二十ドルで人を殺します――」
と、トォアの語尾が跳ね上がる。
それは初めてのことだった。
日本の自殺のことはカンボジアでなんども問われた。どう説明すれば良いのか、それらしい答えはある。だが嘘は言えなかった。
ものの本を読んでも、日本の自殺は決して宗教的なものではなく、あくまで自死が多いという。世を儚んで死ぬ人もいて、その理由は人それぞれであり、生きている赤の他人が説明できるものではない。
誰かに虐められて死を急ぐ者、生きていて受けた債務を自ら消すために死ぬ者、不治の病を苦にして死ぬ者、その日本人の総数が三万人だというが、それらの自死に一定の理由がある訳ではない。
豊かなはずの日本で自殺者が増えていることは間違いない。終戦後一万数千人だった自殺者は、その後十年で二万数千人と急増。高度成長で一度下がったものの、その後は右肩上がりだという。
だがトォアの言う現実は、たった千円か二千円で人が人を殺すというのである。その現実の真ん中を、例え中古車といえども何十万、いや何百万もする車で高価なガソリンを焚いて走っているのだ。
翻って自分のことを考えれば、十数社から組合費を集め組織を作り、数千万を超える資金を投じてカンボジアに進出した。だから是が非でも利益を上げて回収せねばならない。それが現実だった。
私は返事に窮した。トォアの顔は見えない。
だがハンドルを握る手が強張っている。
それは彼の義憤か、それとも先進国から金を儲けに来ている私への反発か。
彼の話の意図は伺いしれなかった。
「そんな金で、人を殺すのか――」
「ええ……、地元の新聞が、なんども記事にしています」
それで話は途切れた。
彼はふっと溜息をすると、あらぬ方を見た。
それからしばらく二人は黙っていた。もうプノンペンから四時間を超えて走っていた。どこか空の表情が変化して、私は海が近いと思った。どこがどう違うのかは難しいが、恐らく間違いない。
「トォアさん、出来れば今夜、君の家であのエビ、食えるかな?」
「Yes sir 、今から電話して、友達にエビを取ってもらいます」
そう言うとトォアは少し顔を赤くして笑みを浮かべた。そして嬉しそうに目をクリクリさせていた。それはやはり若者の顔だった。
「トォアさんの家で食べたエビは一生、忘れることはないよ!」
この日から私は、彼を「さん」付けで呼ぶことにしたのだった。
(第4話へつづく)
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